鯨地名(茨城県)
茨城県常陸太田市の市街地がある丘の愛称です。商店街の名前ともなっています。鯨ヶ丘商店街(常陸太田市)かつてはこの辺りまで入り江になっていて、海からこの丘が鯨のように見えたのが語源と言われています。
奈良時代に編纂された常陸国風土記久慈郡の項に鯨岡の記事があります。それによると、倭武天皇(日本武尊)が鯨に似た丘があったので久慈(くじぐん)と名付けたとのことです。候補地としては谷川原―河合の星神社古墳および梵天山古墳、久米の大里ふれあい広場などが考えられます(地元民談)。星神社古墳は関東地方で最古級で最大級の前方後円墳です。
茨城県行方市小高?
常陸国風土記の行方郡に記事があり、大昔に鯨が海からさかのぼってきて丘になって固まったと書かれています。鯨が陸に上がって丘になる、岩になるという伝説は北海道や三陸地方に多いです。
候補地はいくつかあります。風土記に小高とあるので、小高氏の館があった常光院があるあたりでないかと言われています。あるいは行方市行方の国神神社ではないかという説もあります。霞ケ浦と北浦に挟まれた地域はこんもりとした岡になっているため、どこも鯨と言えば鯨に見えないこともありません。
行方市麻生付近。まだ鯨地名を調べ始める前に撮影した写真なので、肝心の鯨岡が見切れていますが、右側の小山が鯨岡の辺りです。
茨城県石岡市鯨岡
筑波山を取り巻く3つの鯨の一つ。
町名になっており、鯨岡山照岩寺、鯨岡集落センターがあります。このブログの旅行記。足尾神社の里の宮である葦穂神社があり、東には豊城入彦命(崇神天皇の兄)の墓と伝わる丸山古墳があります。石岡市の丸山古墳は、関東地方では最古級の前方後方墳です。
茨城県下妻市鯨
筑波山を取り巻く3つの鯨の一つです。
町名になっている。関東鉄道常総線宗道駅から東に3㎞ほどの小貝川の自然堤防上の集落です。中心部に花蔵院という寺院があります。宗道には平将門の館跡があり、奥州安部氏の安部宗任の遺臣が移住したという伝説があります。
茨城県筑西市久地楽(くじら)
筑波山を取り巻く3つの鯨の一つです。旧新治市北部の広い地域を指す町名です。新治郡衙跡や新治寺が出土しました。
久地楽の語源は不明とされています。常陸国は鯨地名が多く、筑波山を取り巻くように分布しているので、筑波山を崇拝する信仰の跡ではないかと考えられます。
番外 八溝山
茨城県久慈郡大子町
大子町には鯨地名と縁がある近津神社が多数分布しています。
八溝山に向かう道には、大貝、貝名沢、小田貝、磯神などの海を思わせる地名が並んでおり、この辺りに海部が居住していた可能性が高いです。そして近津神社は八溝山を鯨山として崇拝する神社なのではないでしょうか。
八溝山、八ヶ岳、筑波山は鯨山
後で見るように甲斐国と信濃国にまたがる八ヶ岳も鯨地名に囲まれています。八ヶ岳の語源は「八ツガ」という説があります。ツガとは谷のことです。八つ(たくさんの)谷がある山という意味で、八ヶ岳と八溝山は同じ意味になります。これは偶然の一致なのか。さらに筑波山の語源はアイヌ語のtukupa(刻み目)ではないかという説がありWikipedia筑波山、だとすると筑波山も溝の山となります。
どうして溝とクジラが結びつくのでしょうか?鯨の腹には畝という縦線があります。これはくじらが小魚やオキアミをとらえるために大きく口を開けられるように普段は口を畳んでしまっているので、このような畝が顎にあるのです。古代人は大きな山の谷筋を、鯨のあごの畝に見立てたのかもしれませんね。
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