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2021年8月19日 (木)

丸子部の謎(3)徳川家康と誓願寺

1)岡崎の誓願寺

愛知県岡崎市にも誓願寺があります。これは徳川家康が誓願寺51世泰翁のために建立した寺です。本尊は阿弥陀如来です。浄土宗西山深草派。

泰翁は京都の誓願寺の51世住職でした。京都の誓願寺というのは、飛鳥時代から山城国乙訓郡にある寺で、平安時代から浄土信仰と女人救済の中心地でした。もちろんこのシリーズで詳細に説明します。戦国時代には浄土宗西山深草派の総本山でした。

 

2)大林寺三世照翁

泰翁について語るためには、まずその師匠にである大林寺3世の照翁について語らなければなりません。

大林寺は岡崎市の魚町にある寺です。やはり浄土宗西山深草派。徳川家康の祖父清康は尾張国守山城で変死し、大林寺に葬られました。清康夫人春姫は大林寺で尼となって清康の菩提を弔いました。そして大林寺に葬られています。

家康の父広忠も夭折し、墓は大林寺にあります。家康にとって大林寺は祖父母と父の墓がある重要な寺です。春姫の父松平昌安(西郷信貞)の墓も大林寺にありますので、もともとは岡崎松平家の菩提寺であったようです。清康、広忠は変死して岩津松平家は混乱していたので、春姫の実家でひそかに両者を弔ったと考えられます。

その頃の大林寺の住職であった照翁が京都時代に育てたのが泰翁です。

3)山科言継

山科言継は京都山科に所領を持つ下級公家でした。所領を室町幕府に横領されて困窮しました。その時の朝廷は、天皇の即位の礼を開くための資金にも事欠く有様で、財政の実務責任者であった内蔵人の山科言継は、全国各地の大名を回って朝廷のために金策に走りました。

彼の日記「言継卿記」が残されており、戦国時代の重要な史料となっています。

山科言継は照翁から仏道を学んでいました。それで照翁の高弟で京都の誓願寺の住職であった泰翁と交流があったと考えられます。言継卿記には泰翁の名前が頻繁に出てきます。

4)徳川改姓

徳川家康は永禄九年(1566)に、朝廷に奏請して、姓を松平から徳川に変更しました。そして従五位三河上の官位ももらっています。朝廷への申請ルートは徳川家康―泰翁ー関白近衛前久ー正親町天皇です。徳川家康は徳川姓への変更のお礼として後奈良天皇の十三回忌の費用二万疋を寄付をしていますので、お膳立てをしたのが、内蔵人の山科言継であることも間違いありません。

徳川家康はこの時のお礼に、岡崎に誓願寺を建立して、泰翁を開基として迎えました。

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