丸子部の謎(5)京都の誓願寺
誓願寺というお寺が、中世にはネームバリューがあったことを見てきました。その総本山、京都の誓願寺について見てみましょう。
1)天智天皇
洛陽誓願寺縁起によると、天智天皇四年、天皇は生身の阿弥陀如来を拝せんことを願って念仏を唱え、霊感により大和の良匠賢問子・芥子国不死に勅命を下して丈六(約十メートル)の阿弥陀仏坐像を造立し、奈良に念仏閣を建てて阿弥陀像を安置したのが始まりとされます。
延暦十三年(794)に平安遷都に伴い山城国乙訓郡に移転、ついで一条小川に移転したと言われます。
一説には奈良から相楽郡に移り、平安遷都の後に紀伊郡深草に移転。その後に洛中の元誓願寺町(堀川今出川)に移ったともいわれる。
2)女人往生の道場
洛陽誓願寺縁起によると、醍醐天皇が浄土三部経を同時に納め、源信僧都は五十日参籠して不断念仏を修し、清少納言や和泉式部も参籠したと言います。「元亨釈書」によると東上門院(藤原彰子)父道長のために七日参籠し浄土三部経を書写したとされます。
実は奈良県木津町には光明皇后が建立した尼寺の誓願寺があります。どうもこの誓願寺縁起は洛中の誓願寺と、光明皇后の誓願寺の伝承が混線しているようです。しかし洛中の誓願寺はやがて時宗の女性信者の溜まり場になっていきますので、平安時代から女性の救済に取り組んでいたのかもしれません。
承元三年(1209)に焼亡、伊勢権守為家が誓願寺の多聞天を崇敬し、堂宇を私財で再建しています。伊勢権守為家は他にも千本上立売の釘抜き地蔵の願主となっているそうです。
3)浄土宗に改宗
この頃、法然が誓願寺に参籠し、住職の二十一世蔵俊僧正は法然に帰依して、それ以降誓願寺は浄土宗に帰依したとされています。一説には西山上人四世深草円空立信の孫弟良玉から浄土宗に改宗したとされています。法然が誓願寺と関わりを持っていたのは、法然に影響されて明遍が高野山に蓮華谷の道場を作り、そこに誓願院が建立されたことから間違いはなさそうです。
しかし浄土宗が教団として成立するのはもっと後なので、法然に帰依して浄土数に改宗したというのを信じることはできません。
また蔵俊は法相宗の僧侶で、法興寺や興福寺の別当を歴任しているので、当時の誓願寺は興福寺に連なるお寺であったことが分かります。
むしろ洛中で念仏・阿弥陀信仰を最も早くから布教していたのは誓願寺であるので、法然が誓願寺で勉強をして得るところがあって専修念仏を始めたとみるべきではないでしょうか。
鎌倉時代の中頃に深草真宗院の円空立信が当寺を兼帯してより、浄土宗西山深草派の本山となったとされています。
4)京極への移転
室町時代の誓願寺には時宗の女性信者が多く出入りしていたことが「一遍上人年譜略」に記されています。
応永十七年(1410)には後亀山天皇の皇子が当寺で出家したと記録にあります。室町時代がこの寺の最盛期でした。その後何度が火事に遭うたびに洛中の人々の浄財にて再建されていますが、天正年間の加持の際には再建に苦労したことが記録に残っています。天正十九年に豊臣秀吉の命により、元誓願寺町から現在の京極に移転しました。慶長年間に落語の祖と言われる安楽庵策伝が五十五世となっています(ということは先に見た岡崎誓願寺の泰翁の四代後)。彼の話法は誓願寺に集まる信者を相手に鍛えられました。
禁門の変にて伝来の本尊を失いました。明治維新の時の上地によって広い境内を失い、現在の広さになりました。その後も何度か火災に遭って、現在の本堂は戦後に建設されたものです。
歴史に名前は出てきませんが、平安時代から念仏の中心であり、法然の浄土宗は誓願寺に触発されて始まった可能性があります。隠れた重要なお寺というべきです。次に見るように、高野山の蓮華谷を開いた明遍と法然を結び付けたのは誓願院であり、高野聖と浄土宗の交流の接点も誓願寺だったと考えられます。
源頼朝が丸子に誓願寺を作った際に参考にしたのはこの誓願寺であるはずです。女人往生の道場なので、やはり源頼朝は母や乳母を供養するためにこのお寺を建てたのでしょう。ならば鎌倉か熱田に建立すればよさそうなものですが、駿河の丸子に建てたのは謎です。頼朝の乳母は比企氏なのですが、これは少年期の育ての親です。乳児の時の乳母は別にいたはずです。私はそれが丸子氏で、駿河出身だったのではないかと思うのですが、今のところ全く想像にすぎません。
« 丸子部の謎(4)熱田の誓願寺 | トップページ | 丸子の謎(6)蓮華谷と高野聖 »
「古代史」カテゴリの記事
- 丸子部の謎(7)莫越山と名古屋の由来(2021.08.23)
- 丸子の謎(6)蓮華谷と高野聖(2021.08.22)
- 丸子部の謎(5)京都の誓願寺(2021.08.21)
- 丸子部の謎(4)熱田の誓願寺(2021.08.20)
- 丸子部の謎(3)徳川家康と誓願寺(2021.08.19)
コメント