丸子の謎(6)蓮華谷と高野聖
1)明遍
高野山の蓮華谷を開いたのは明遍という僧侶でした。明遍は信西の息子です。
信西の俗名は藤原通憲。藤原南家、学者の家に生まれました。二人目の妻朝子が鳥羽天皇の第四皇子雅仁親王の乳母となりました。後に雅仁親王は即位して後白河天皇となります。信西は後白河天皇の重用され、息子たちも出世しました。
明遍は藤原通憲と朝子の間の子供です。康治元年(1142)生まれ。
平治元年(1159)、明遍18歳の時に平治の乱が起きて父の信西は殺害され、明遍の兄弟たちも失脚しました。明遍自身も越後に流罪になりました。反信西の勢力はすぐに平清盛の排除されたので、やがて許されて近畿に帰ってきますが、出家して東大寺で三論を、高野山で真言宗を学びました。
2)法然との関わり
当代一の学者信西の息子らしく、南都で高い学識を評価された明遍で、嘉応二年(1170)には興福寺の維摩式の講師を務めています。文治二年(1186)の大原問答に(法然と天台宗の顕真が行ったという論争)に列席していたと言われますが、この論争の記録は浄土宗側の史料しかないそうです。大仏を再建した重源や仏師の快慶とも仲が良かったと言われています。
明遍は最初法然の専修念仏を批判していましたが、いつの頃からか法然の理解者となりました。法然は長承二年(1133)生まれなので、明遍は九歳年下です。
明遍は建久年間(1190-99)に高野山の蓮華谷に隠棲しています。この時には念仏の信者となっていますので、1170-1190の間に法然に帰依したようです。
3)観音信仰と浄土信仰
平安時代末期から高野聖の活動が活発になります。全国を遊行して鬼頭氏、寄付を集めました。高野山で起きた大火による再建費用集めが、高野聖の興隆のきっかけになったとされています。
学識高い明遍はなぜか五十代の頃に南都仏教の出世ルートから遠ざかり高野山に籠って修行をするようになります。その時に建てたのが蓮華三昧院です。明遍は後白河院の乳母兄弟に当たりますから、おそらく皇室や実家の高階家からの援助があったのでしょう。
後白河院が建立した三十三間堂の正式名称は蓮華王院です。蓮華は観音菩薩を象徴しています。三十三間堂には千体の千手観音像が納められています。観音菩薩は阿弥陀如来の脇仏なので、観音信仰と阿弥陀信仰は相性が良いです。
元々平安時代の観音信仰というのは、観音様の力で極楽浄土に生まれ変わろうという物でした。ですから観音信仰と浄土信仰の間にはほとんど差はないのです。観音信仰は平安時代後期に大流行して西国三十三観音が整備されました。院政期に大流行した熊野詣も、実質的には那智の観音をお参りして補陀落海に見立てた熊野灘に到る巡礼でした。後白河院は観音信仰のマニアで、熊野も何度も詣でています。
西国三十三観音に触発されて、坂東でも坂東三十三観音が整備されました。源頼朝と北条政子夫妻もまた観音の信者でした。北条政子は二度も熊野詣をしています。墓所の田代観音は坂東三十三観音に入っています。
そのため明遍の信仰は恐らく観音信仰と阿弥陀信仰が融合したもので、その一環として法然の念仏を取り入れたのだと思われます。戦前は真言宗のお寺でも、弘法大師を前にして南無阿弥陀仏と唱えるのは普通のことでした。おそらく明遍や後白河院、それに九条兼実も、観音様を前にして南無阿弥陀仏と唱えて極楽往生を祈っていたのでしょう。
4)蓮華谷の誓願院
明遍が整備した蓮華谷は高野聖の中心となっていきます。蓮華谷の中に誓願院があり、沙石集にもそこにいた僧侶の説話が記録されています。本尊は、洛中の誓願寺から分けてもらった仏像だったらしいです。
先に見たように尾張国の御器所八幡宮の神宮寺は、高野山誓願院の末寺です。おそらく誓願院も高野聖の拠点だったのでしょう。
当時の流れを見ていくと、平安末期と鎌倉初期の権力者は誓願寺と深い関わりを持っていたことは明らかです。法然が生み出した教団は、やがて浄土宗と浄土真宗を生み出していきますので、我々は浄土信仰の中心には常に法然がいて彼が主導していたと考えがちです。しかし実際は阿弥陀信仰の中心には誓願寺があって、誓願寺を中心に人は動いていたらしいことが分かってきました。
誓願寺は平安時代から女人の救済の取り組んでいたので、女性に人気があったようです。それで頼朝も母の供養に誓願寺を建てていますし、尾張の妙光尼も熱田に誓願寺を建てました。
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