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2021年9月27日 (月)

ビックニープリキoア 第31~35話

久し振りにビックニープリキoアのストーリーを更新。中盤の山場のドレスアップとパワーアップアイテム獲得まで。

生徒会選挙がプリキoアにつきものだというのは今年初めて知りましたが、プリキoアは落選するものらしいので、本作では逆に当選させちゃいます。ミミが生徒会長ですし、ひろのは優等生だからまあいいでしょう。生徒数少なそうだし。

新必殺技はスライムのような形をした摩尼宝珠に全員で手をかざすと、光線が出て敵を倒す感じ。蓮華荘厳というのは華厳経の正式名称。華厳経は僧侶と世俗の区別がなく、女性礼賛の経典で、未来の仏教が進むべき道が隠されていると個人的には考えていますので、ビックニープリキoアの最終兵器のモチーフにしました。

 

第31話 「美味しさチャージ!魅惑のテンプラ」

いよいよテレビ局を呼んでのB1グランプリが始まった。ひろのの父は和三盆村の伝統の山菜を混ぜたじゃこ天で見事優勝をした。

 

第32話 「お姉ちゃんはプリキoア?われら少年探偵団」

人気アニメ「たんこぶ探偵」に影響された眞魚の弟の眞雅は、小角の妹の白子、ギョーキと共に少年探偵団を結成した。そして村に現れる謎の魔法戦士プリキoアを探ることにした。ギョーキが捜査をかく乱しようとするが、なぜか裏目に出てどんどんと核心に近づいてしまう。しかし、眞魚たちがいる場所に謎の戦士が現れて疑いが晴れる。ジャキが偽プリキoアになってくれたのであった。シキーマも話を合わせて偽プリキoアにやられたふりをしてくれた。

 

第33話 「大選挙!ひろのが生徒会長?」

3年生の引退が近づき、ミミはひろのに生徒会長を引き継いでくれないか持ちかける。プリキoアとの両立に悩むひろのであったが立候補し、当選する。

 

第34話 「シキーマの巫女修行!ドキドキのおみくじ」

何かというと音平神社をうろうろしているシキーマ、宮司からは若いのに信心深い人として認識されていた。そんな時、宮司の妹が熱を出したため、シキーマが成り行きで巫女をやることになってしまった。

 

第35話 「迷いウリ坊、蓮華荘厳アタック!」

宿坊海岸寺にウリ坊が迷い込んできた、眞魚は隠れて世話をするが、山沿いの畑でイノシシの目撃情報が増え山狩りが計画される。小角に諭されてウリ坊を山に帰しに行く眞魚たち、山奥で腹黒伯爵が山を荒して基地を作っているところに出くわす。眞魚たちが身を挺して動物たちを守ろうとしたその時、蓮の花びらが天から降り注ぎ、プリキoアは新しいコスチュームにドレスアップした。宝珠に力を込めて腹黒伯爵のメカを一掃し山に平和が戻ったのであった。

2021年9月26日 (日)

鯨地名(兵庫県)

Kyotohyogo

久代 くしろ

兵庫県川西市久代町

鯨かどうかは不明ですが、島根県の久代との関連で候補地として入れます。

 

鯨岡

兵庫県姫路市稲岡山古墳

地元民によると、古墳の別名が鯨岡であるそうです。

鯨地名(京都府) 賀茂氏の謎

Kyoto

京都府亀岡市宮前町宮川鯨

亀岡市にある字です。鯨と名付けられた由来などは不明ですが、賀茂氏の伝説が色濃い地域ですので、葛城山の櫛羅と関連があるでしょう。

付近に宮川神社があり、google mapの説明によると「御祭神伊賀古夜日売命。賀茂御祖神社に祀られる賀茂建角身命のお嫁さん。同じく玉依比売の母」と地元の伝説ではなっているようです。なので鴨氏や玉依姫に関わりがあることが分かります。奈良県葛城山の櫛羅と関連がありそうです。

この辺りは相模国から移住したという波多野氏の本拠地です。

宮川神社 (亀岡市) (genbu.net)

金輪寺本堂(亀岡市)/京都府ホームページ (pref.kyoto.jp)

上記リンク先の玄松子の記帳によると、賀茂建角身命は大和国の葛木山(葛城山)に宿り、さらに山城国の加茂に移り、丹波国神野(亀岡市宮前町)の伊賀古夜日売命を娶り、玉依姫を生んだことになっているそうです。葵祭には宮内庁からの要請でここの氏子が参加する習わしになっているそうです。

 

折田(くじた) 京都府京都市中京区堂ノ前町 頂法寺(六角堂)

京都市のある京都盆地は山城国愛宕郡と呼ばれていました。平安京建設以前から愛宕郡にあったとされる寺が法観寺(東山区)と六角堂頂法寺(中京区)です。北白川にも寺があったことが発掘調査からわかっています(北白川廃寺)。

頂法寺創建の由来を記録した「六角堂縁起」には、六角堂は愛宕郡折田郷土車里にあったとされています。この折田は「クジタ」と訓が振ってあり、鯨地名である可能性があります。平凡社の地名辞典は平安京遷都によって消えてしまった地名と推測しています。

京都市の最も古い地名は鯨だったのです。

京都の俗信では六角堂は京都のヘソに当たり、平安京を建設した際には六角堂を測量の起点にしたと言われています。今の六角堂は発掘調査によると中世までしか遡ることができないので、平安京より前にあった六角堂は別の場所と考えられますが、京都の人たちが京都の中心と信じてきた六角堂が折田郷(くじた=くじら)にあったというのは驚くべきことです。

 

賀茂氏と折田氏

京都市と鯨のつながりはそれだけではありません。京都市の地主神である上賀茂神社(加茂御祖神社)は平安遷都以前よりこの地に住した賀茂氏の氏神です。「山城国風土記逸文」によると、可茂の神は日向国曾の峰に天降りした賀茂建角身命であり、その神は神倭伊波礼毗古命を先導して大和の葛木山に宿り、その地より山城国岡田の賀茂へ移り、さらに木津川を北上し賀茂川上流へと至り、久我国北山基に鎮座しました。これが京都市の下鴨神社、上賀茂神社です。

そこで賀茂建角身命は丹波国神野(兵庫県氷上郡氷上町御油の神野神社)の神伊可古夜比売をめとり、玉依日子、玉依日売の男女が生まれました。

古事記では玉依姫は海神大山祇神の娘ですが、賀茂建角身命の娘とする伝承もあったことが分かります。玉依姫は神武天皇のお母さんです。

ある日玉依日売が石川の瀬見の小川で川遊びをしていると、丹塗矢が川上より流れ下り、取っ手床の辺りに差し置いたところ、日売は男子を生みました。成人して祖父の賀茂建角身命が「汝の父と思う人に酒を飲ましめよ」と言ったところ、その子は天に向かって祭りを成し昇天しました。そこで賀茂建角身命は孫を賀茂別雷命と名付けました。実は彼の父は乙訓社の雷神でした。

折田氏は珍しい苗字で、丹波国と薩摩国にしか記録がありません。丹波誌氷上郡の条に折田氏が油利村にいるとあり、神野神社とは10㎞くらいの距離にあります。同じ盆地です。京都市中心部の愛宕郡折田郷にいた賀茂氏の一派が氷上郡の神野に移住したのかもしれません。となると、玉依比売の出身地は、亀岡市の宮川鯨と氷上郡の御油の二つがあることになります。どちらが正しいのでしょうか?しかし京都市の賀茂神社は二つありますから、どちらも正しいのかもしれません。

神野というのは嵯峨天皇の諱で、桓武天皇の甥には葛野王がいました。氷上郡には葛野庄という皇室相伝の荘園がありました。氷上郡と皇室のつながりは、古墳時代にまでさかのぼる可能性があります。

 

賀茂建角身命=事代主神=鯨

賀茂建角身命が降り立ったという大和の葛城山は、櫛羅(鯨)にあります。櫛羅には事代主神が祀られています。賀茂建角身命の別名は三島溝咋(みしまみぞくい)で、この神様は伊豆諸島では三島明神として祀られています。三島明神の妻は伊古奈比売(イコナヒメ)で、賀茂建角身命の妻の神伊可古夜比売(カムイカコヤヒメ)と似ています。賀茂建角身命と事代主神は同一とみてよいでしょう。

葛城山にいた鯨を崇拝する賀茂氏は山城国風土記逸文によれば、

 

日向国曾の峰→葛城山(櫛羅)→山城国岡田→山城国愛宕郡(折田)→上賀茂・下鴨に分離→丹波国氷上/丹波国宮川(鯨)

というように移動していったと考えられ、この流れは継体天皇が北陸から大和に来たルートや、品遅別命の旅路、聖武天皇の放浪、そして桓武天皇の平安京遷都ルートにも重なります。

飛鳥時代から奈良時代にかけて、ダイダラボッチや鯨を一度は忘れてしまった朝廷が、奈良時代の後半になってから、何故か古い鯨の伝説をなぞるように行動しているのはとても興味深いです。

 

玉依姫の謎

玉依姫は古事記では神武天皇の母であり、山城国風土記では丹塗り矢に感応して妊娠し、雷神の子供を産みます。東京都品川区大崎には奈良時代創建の品川貴船神社があります。この品川貴船神社は元々荏原神社であり、後から沿岸部に移転して今の荏原神社となり、元の大崎の神社は貴船神社になったとされています。

京都の貴船神社には、浪速から玉依比売が淀川を遡って貴船に至ったという伝説があります。今の品川貴船神社には玉依比売は祀られてはいませんが、本来の神様は玉依比売かもしれません。

品川貴船神社が移転したという荏原神社には恵比須様(事代主神)が祀られています。つまり玉依比売のお父さんです。近所の神社に思いもよらぬ古い伝承の跡が残されていることが分かりました。山城国風土記逸文に残されている古事記には採用されなかった古い伝承が、武蔵国荏原郡品川の神社と対応するのは非常に興味深いことです。

 

鯨塚

京都府与謝郡伊根町亀島

蛭子神社に鯨の胎児を祀った鯨塚があるそうです。

私は伊耶那岐命と伊邪那美命が最初に生んだ蛭子(ひるこ)は鯨ではないかと考えています。人間の胎児は最初は魚のような姿をしています。これは流産した胎児を見れば古代人でもわかります。狩猟をしていれば哺乳類の胎児はみな魚の姿をしていることもわかるはずです。そこで大昔の海部は、全ての生物の祖先は鯨なのではないか?という信仰を持つに至ったのではないかと考えています。

伊耶那岐命と伊耶那美命が蛭子を海に流したのは出来損ないだったからではなくて、一番最初に生まれた動物は鯨であると古代の日本人が考えていたからではないでしょうか。

であるから、恵比寿様と蛭子が土地によっては同一視されているのだと思います。鯨の胎児は丁重に葬られたという記録は各地にあるので、人間の胎児と似た姿を持つ、鯨の胎児を食べることはタブーであったのかもしれません。

2021年9月22日 (水)

鯨地名(奈良県)

Nara

櫛羅 くじら

奈良県御所市櫛羅

古代からの聖地葛城山の住所です。すなわち葛城山は、大和の鯨山です。葛城山は古事記や日本書紀にも頻出します。古代豪族の葛城氏の本拠とされています。日本書紀によると第五代孝昭天皇、第六代孝安天皇、第七代孝霊天皇は葛城山の東側に都を作り、そして葬られたとされています。第七代の孝元天皇の時に、葛城から奈良盆地の中心である橿原に遷都したそうです。

その後日本書紀の舞台はしばらく橿原と巻向(桜井)に移ります。葛城は仁徳天皇の時代に再び登場します。仁徳皇后磐之姫は葛城氏です。履中天皇、反正天皇、允恭天皇は仁徳天皇と磐之姫の間の子供なので、葛城氏は五十年間にわたり河内王朝の外戚として力をふるったのでしょう。そして雄略天皇は、葛城山で狩りをしている最中に一言主神に出会ったとされています。

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葛城山東麓の神社

葛城山の東側の櫛羅は鴨氏の中心地で鴨山口神社(大山祇神・大日霎貴命・御霊大神)、鴨都波神社(事代主神)、恵比寿神社などが鎮座しています。駒形大重神社も奥州安部氏との関連で興味深いです。葛木御歳神社は日本全国の大歳神を祀る神社の中心とされています。大歳神も三重県と静岡県で見たとおり、鯨と縁が深い神様です。このように非常に由緒ある神社が集中している地域です。

寺社仏閣 | 御所市 (city.gose.nara.jp)

鴨氏の中心地で、事代主神が櫛羅に祀られていて、御所の人々の鎮守として親しまれた神社が恵比寿神社というのは、当ブログとしては見過ごせません。事代主神は古くは鯨を神格化した神であったと考えられ、事代主神の聖地なのでこの地の名前がクジラなのでしょう。初代神武天皇の皇后は事代主神の娘で、第二代綏靖天皇、第三代安寧天皇、第四代懿徳天皇までは事代主神の女系子孫です。初期の天皇家が、鯨を神と崇める鴨氏と密接な関係にあったことが伺えます。

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恵比須様、事代主神と同一視される(東京品川荏原神社)

事代主神の女系子孫である初代~第四代の天皇が、日本書紀では葛城ではなくて橿原にいたとされ、第五代になってから何故か大和盆地の中心地の橿原を南下して、鴨氏の本拠地であるはじっこの葛城に移住しているのは矛盾しています。それは私は天皇家は神武天皇の時に南九州を脱出し、そこから四代かけて瀬戸内を東上して、第五代孝昭天皇の時に初めて大和盆地に入ったのだけれども、神武天皇を神格化するために東征を神武一代の出来事にしてしまったために、第二代~第四代の事績が不明となり、さらに橿原にいたという創作がなされたと考えていますが、これについては瀬戸内の鯨地名を語る際に明らかになるでしょう。

私は孝昭天皇、孝安天皇、孝霊天皇、孝元天皇は兄弟であり、それが神武天皇の四兄弟(五瀬命、御毛沼命、稲氷命、神倭伊波礼毗古命)に反映しているのではないかと考えています。諡号に四代続けて孝の字が入っているのは、何らかの伝承が奈良時代まで伝わっていたからではないかと思うのです。

 

葛城山は飛鳥時代に役小角が山岳仏教の修行地として開発しました。葛城山系、金剛山系は特徴的な岩石が多く古くから神聖な場所として崇められていたようです。

葛城山の西麓、即ち河内側は和泉山脈、金剛山地(葛城山系)を行場とする葛城修験の霊場です。葛城修験は法華経二十八品を一品づつ山中に埋めて経塚を作り、二十八宿の行場を設定したとされます。二十八宿というのは、古代中国の星座で月の位置を表すのに使います。どうやら葛城山の信仰は星座ともつながりがあるようです。海部は星座を作り、航海の道標としていました。日本神話には海部の天文知識が隠されています。

 

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インドの天体観測施設(日本史とは関係はありません)

2021年9月20日 (月)

鯨と人魚と観音

(1)鯨と観音とダイダラボッチ

関東で鯨に見立てられた山は筑波山と日光の二荒山と八溝山ですが、いずれも坂東三十三観音に選ばれていて、古くからの観音信仰の中心地です。いずれもダイダラボッチの物語が残る山です。同じく鯨地名が残る安房国と三浦半島も観音信仰が盛んな土地です。古い観音信仰の背景にはダイダラボッチがあるのかもしれません。

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筑波山のへこみは、ダイダラボッチが腰かけた跡とされる

 

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八溝山、やはりダイダラボッチが腰かけてへこんだという伝説がある。

観音信仰は海の民とつながりが深いです。魚籃観音なんていうのもあります。観音信仰は懐が深いので、殺生を生業とする漁師でも救ってくれるからということで、漁師の間に広まったと言われています。また観音浄土である補陀落は南の海上にあるとされ、日本の古くからの常世信仰と習合したともいわれています。

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浅草寺の金蔵門

例えば有名な浅草寺では、推古天皇十三年に檜前浜成・竹成兄弟が投網の中に正観音像を感得。つまり漁をしていたら観音様が網にかかったので祀ったのが始まりとされています。鎌倉の長谷寺は天平八年に大和の初瀬から観音の巨像が三浦半島の長井に流れ着き、藤原房前が徳道上人を開山として祀ったのが始めとされています。全国の長谷寺はみな同様にして、奈良の長谷の大仏と同木から作り出したという伝説を持っています。たいていが海に流れ着いたということになっています。

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観音信仰では巨大な草鞋が奉納される

 

どうもこの漂着する仏というのは寄り鯨の変形のように思えてなりません。元々は鯨とダイダラボッチを信仰していたのが、仏教伝来とともに観音様に入れ替わったのではないでしょうか。全国の長谷寺が大仏を作るのも、元々はダイダラボッチの信仰だからかもしれません。

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奈良の長谷寺。初瀬は万葉集では死者と生者が出会う場所とされていて、仏教伝来以前から宗教的な場所であったらしい。

 

それと観音の重要な特徴は、男性であると同時に女性でもあることなのですが、筑波も日光も八溝山も男体山と女体山があって男女一体の山なのです。

甲斐と信濃の鯨山である八ヶ岳にも観音平があります。八ヶ岳には男体山と女体山は無いようなのですが、甲斐には八ヶ岳は男の神様で、富士山が女の神様という古くからの伝承があります。やはり東国では山の神様は男女セットなんですね。

 

(2)ジュゴンと観音と人魚

あるいは観音信仰は女神信仰と習合している形跡もあります。古い十一面観世音菩薩がある山には女神の伝説が残っています。漁師が網にかかった観音を家に持って帰って拝んでいたら長者になれたというパターンが多いのですが、これなどは豊玉姫命、玉依姫命などの人魚の信仰と混ざり合っているのかもしれません。つまり元々は漁師が人魚と夫婦になるという物語だったのが、仏教が広まったり、あるいは近世になって古事記神話が広まって、山幸彦と同じ物語は畏れ多いということで人魚が観音様に入れ替わったのかもしれません。

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現代の人魚

人魚と言えばジュゴンです。江戸時代までは屋久島にジュゴンがいたと言います。ジュゴンは餌を探して数百㎞も泳ぐので、温かい縄文時代には瀬戸内海や伊勢湾にもいたかもしれません。ジュゴンは非常においしいそうです。これはネットで検索すると話が出てきます。ジュゴンが絶滅危惧種になる前は、沖縄ではジュゴンの肉は珍重されていたそうですし、数十年前までは東南アジアやオーストラリアでも食べられていたそうです。

人魚を食べると長命になるという伝説も、ジュゴンの肉の話が形を変えて伝わったのかもしれません。そして観音には、飢えた人に食べられたという伝説が残っています。飢えた修行僧が鹿の遺体を食べて生き残ったが、後になって拝んでいた観音を見ると腿の部分が欠けていたというような話です。

 

(3)鯨石と龍涎香

鯨を調べていると、鯨の体の中から玉が出てきたので畏れ多いということで祀ったという話が出てきます。豊玉姫と玉依姫は名前に玉が入っていますし、潮満玉と潮涸玉が出てきます。従来これは真珠とされることが多いのですが、もしかしたら龍涎香(りゅうぜんこう)かもしれません。

龍涎石とはマッコウクジラの胎内でできる結石です。作られる仕組みはまだよくわからないそうです。高貴な香りがするとされて、インドや中国で珍重されました。たまたま海岸に打ち寄せられたマッコウクジラの死体から取り出されるもので、とても高価でした。

だから鯨は体の中に不思議な石(玉)を持っているという伝説が生まれたのでしょう。鮫も胎生ですので昔の人は大型の鮫と鯨は区別していなかったと思われます。

南インド起源の古い仏典には、船乗りが難破して謎の島にたどり着いて、龍の王様から不思議な玉をもらって大金持ちになる。という話が出てくるのですが、これなどもインドネシアや或いは日本までインド商人が到達していて、現地人から龍涎香を買い求めていたしるしかもしれません。

 

(4)鸕鶿草葺不合尊とラッコあるいはアザラシ

先日国譲りの神話を分析した際に、ウミウが登場することに気が付きました。しかしよく吟味してみると、これはラッコの生態を表していることがわかりました。元々はラッコだったけれども、南海に物語が伝わるうちに何の生物かわからなくなり、海に潜って魚を捕まえることからウミウだろうと間違って伝わったのではないかと考えられます。

海幸彦山幸彦の物語は海を舞台にしています。豊玉姫と玉依姫は海の世界のお姫様で、鯨・鮫・ジュゴンと考えられます。であれば生まれた子供の鸕鶿草葺不合尊も恐らく海の生物であるはずで、私はラッコなのではないかという説を提示したいです。

ラッコは海の上で寝起きします。寝床がありません。昆布を体に巻いて流されないようにして寝ます。それで家づくりが間に合わなかったという名前なのではないかなと思うのです。

鸕鶿草葺不合尊はカヤブキが間に合わなかったという意味です。古代は屋根や竪穴式住居の壁をカヤの茎や木肌で覆いました。これを茅葺(カヤブキ)と言います。茅葺が間に合わなかったということは、家に屋根や壁の草木がついていないということですから、要するに毛が無いということになります。

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アザラシ?

海に潜り、毛が無い生き物と言えばアザラシです。人間と鮫、あるいは鯨の合いの子である鸕鶿草葺不合尊は、人間に似た顔を持ち、海で暮らすラッコかアザラシだったのではないかと考えられます。北米のネイティブアメリカンには、人間の女性とアザラシの男性が夫婦になって子供を作り人間の女が最終的にアザラシになってしまうという話もありますので、山幸彦と鸕鶿草葺不合尊の神話は、海の民に伝わる昔話の一種だったと考えられます。

天皇家が東国出身かはまだよくわかりませんが、古事記に残っている海部の神話の起源は、どうも東国にありそうです。縄文時代は関東や東北地方の方が豊かで人口も多かったです。縄文時代には九州は阿蘇山や姶良カルデラの噴火で壊滅しています。弥生時代にも開聞岳や霧島の噴火で南九州は甚大な被害を受けています。私は神武天皇に象徴されている天皇家の祖先が九州を脱出したきっかけは火山の噴火と考えています。中国地方や近畿地方は花崗岩質で土地が瘦せているので動物が少ない。東国の方が海も山も動物が豊富でドングリも多くて豊かでした。文明の中心は東国にあったのでしょう。

 

鯨地名(三重県) 鯨と観音とダイダラボッチ

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朽羅神社 くちらじんじゃ

三重県度会郡玉城町原

内宮摂社の第十二番で、御祭神は千依比売、千依比古、姉弟の神様です。大歳神の子とされています。

大歳神は奈良県御所市の葛木御歳神社にまつられています。葛木御歳神社は全国にある大歳神を祀る神社の総本社です。御所市櫛羅(くじら)から南に2kmくらい。三重県の外城田で葛城の神様が祀られているのは朽羅神社だけですから、朽羅には櫛羅から派遣された部族が住んでいたのかもしれません。

朽羅神社(伊勢神宮 内宮摂社)|伊勢志摩の観光スポットを探す|伊勢志摩観光ナビ (iseshima-kanko.jp)

御歳神社 (mitoshijinja.jp)

現在の朽羅神社は江戸時代に式内社久麻良比神社の跡地に再興されたもので、元は原村にあったともされています。田園に浮かぶ島に見える鎮守は宮田の森と呼ばれています。伊勢国度会の朽羅神社と葛城は関連があると考えるのが自然でしょう。

玉城町の外城田(ときだ)の辺りを開発したのは荒木田氏とされています。荒木田氏は古代から内宮の神主を代々勤めた神職の名門です。 荒木田氏は中臣氏と同系統で、大鹿島命の孫の、天見通命を始祖とします。景行天皇の時に大貫連の姓をもらい、成務天皇の時に荒木田神主の姓をもらったとされています。七世紀後半に二系統に分離して、一門と二門に別れました。

多気郡の外城田は荒木田氏が開発したという伝承は重要で、その中心にあるのが朽羅神社ですので、伊勢でも鯨が開発センターだったわけです。

伊勢は猿田彦信仰の拠点なので猿も関わってきます。

 

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東京都大田区蒲田の稗田神社の御祭神にも荒木田襲津彦がいる。大田区では最古の神社で、弥生時代の祭祀跡も発掘されている。

 

伊勢の外城田の奥に祭られている速河比売と速河比古は、天須婆漏女命(あめのすばろめのみこと)の子供です。天須婆漏女命 は昴を神格化した神様とされ、天宇受賣命と同一視されています。そして速河比売と速河比古は は狭田国生神社に祭られていました。父は猿田彦とも言われています。速河比売と速河比古の別名は寒川姫、寒川彦で、これは相模の目久尻川(真鯨)の寒川神社の神様と同じです。

相模川流域には、古墳時代に東海地方から人が移住してきたことが考古学的に確かめられています。その人たちは、伊勢の度会から来て、鯨という地名と寒川姫、寒川彦の信仰を持ち込んだのかもしれません。

 

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相模の寒川神社

 

そういえば、静岡浅間神社の奈古屋明神に祀られているのも大歳神です。これは偶然でしょうか。駿府を開拓したのも、葛城から派遣されてきた鯨信仰の部族なのかもしれませんね。

 

鯨山・鯨石・鯨観音

三重県鳥羽市松尾町519 青峰山正福寺

伝説では、観音菩薩を載せた鯨が鯨崎にたどり着き、土地の男が観音像を手に取ると、鯨は見る見るうちに石に変わったとされています。鯨が石になるというのは、北海道や東北に多い伝承です。観音様は十一面観音菩薩でした。観音像が青峰山に行きたいと言ったので、そこに寺を建てて祀ったとされています。そこで正福寺を鯨観音とも言います。

鳥羽市観光情報サイト - 知る (tobakanko.jp)鯨の背に乗った仏様

 

鯨石

三重県志摩市大王町波切1 波切神社

鯨石があります。捕鯨で捕まえた鯨から丸い石が出てきたので(龍涎香?)村人は祟りを恐れてその鯨を厚く葬ったと言われています。波切にはダイダラボッチの伝説もあり、大きな草鞋を神社に備える風習もあるそうです。葦夜権現(いやごんげん)の草鞋祭といい、大きな草鞋を海に流して豊漁を祈るそうです。

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浅草寺の金蔵門

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浅草寺金蔵門の大草鞋、日本の観音信仰では大草鞋の奉納がみられる

これは上の鯨観音とも関連するかもしれません。何故なら観音様には昔から大きな草鞋を奉納するからです。さらに、観音様はインドではヴィシュヌの化身なのですが、ヴィシュヌを表すのは大きな足跡です。かつてはお釈迦様もビシュヌの化身とされました。仏教信者がお釈迦様の足跡を信仰していたからです。

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東京芝増上寺の仏足石

日本人が観音を受け入れたベースには、ダイダラボッチがあるのかもしれません。お釈迦様=観音様=ヴィシュヌ=ダイダラボッチは大きな足というキーワードで結びつきます。そして波切ではその草鞋を海に流すわけですから、ダイダラボッチと鯨が同一視されていることもわかります。

波切神社|観光スポット|観光三重 (kankomie.or.jp)

 

鯨岩

三重県北牟婁郡紀北町引本浦



三重県伊賀市音羽鯨
伊賀市にある字です。なぜ鯨と呼ばれるようになったかの情報はありません。音羽という地名は観音信仰(清水寺、坂上田村麻呂)と縁が深いので、三重県では鯨信仰は観音信仰と習合しているようです。

2021年9月13日 (月)

鯨地名(岐阜県)

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久尻 くじり

岐阜県土岐市泉町久尻

久尻神社を中心とする一帯、かつては久尻村がありました。神奈川県海老名市に真鯨と目久尻川があるので、この久尻村もかつては鯨であったと推測が可能です。久尻川も流れています。慶長時代の郷帳には国尻村とあり、正保郷帳では群尻村とあるそうです。

久尻村には奈良時代から室町時代にかけて窯跡が確認されています。戦国時代に加藤市左衛門春厚(加藤景光)が久尻に良土を発見し天正十三年より窯焼きをはじめ、その子の四郎右衛門景延は唐津へ赴いて登り窯を久尻に持ち帰り、美濃焼の陶祖といわれています。

久尻には古墳群があり、乙塚古墳はその中で最大級で七世紀の営造とされます。地元の伝説では八坂入彦命の女弟姫のゆかりの者を葬ったと伝えられます。しかしこれは発掘調査の結果とは異なっています。

ともあれ八坂入彦命は崇神天皇の皇子で尾張氏を母とし、美濃の久々利(くくり)に土着したとされます。久々利は久尻村の北隣でした。その子孫が八坂入媛と弟媛で、景行天皇が美濃に行幸した際に弟媛を見初めるのですが弟媛は姉を憚って八坂入媛を勧めました。

おそらく当時の東海地方の王族には伊勢の斎宮のような習慣があり、弟媛は神に仕える巫女なので結婚ができなかったのでしょう。そこで景行天皇は八坂入媛を連れ帰ります。やがて皇后の播磨稲日大郎姫が亡くなったので、入れ替わりに八坂入媛が皇后となり、生まれたのが成務天皇とされています。

八坂入彦の墓/可児市 (kani.lg.jp)

播磨稲日大郎姫は日本武尊の母親です。日本武尊は天皇になれませんでした。尾張氏の八坂入媛が吉備の播磨稲日大郎姫を押し退けて皇后となり、それで日本武尊が皇位を継ぐことができなかったと読むこともできます。しかし常陸国風土記では日本武尊は倭武天皇と記されています。景行天皇は妃も子女も多いため(総計七十人超!)、複数の人間の業績が一人にまとめられていることは明白です。当時の王族の中で吉備氏と繋がった人がいてそのうち誰かが関東に赴いたのでしょう。それが日本武尊伝説として残りました。尾張氏と結びついた人もいるのでしょう。その一族から出たのが成務天皇であるようです。

九州に遠征した景行天皇、吉備にいて四国に子孫を派遣した景行天皇、出雲に派遣された日本武尊、関東に派遣された日本武尊(倭武天皇)、尾張氏とつながりを持った景行天皇(成務天皇の父)これらはそれぞれ別人物と考えた方がよさそうな気がします。

八坂入彦命と弟媛の伝説は、常陸国の豊城入彦命の物語、日本武尊と弟橘姫の伝説に似ているようです。相模や常陸には美濃や伊勢の人たちが移住していますので、故郷の伝説を持ち込んだのかもしれません。豊城入彦命の墓が残る石岡には鯨岡があり、弟橘姫が日本武尊をもてなした久慈にも鯨岡があります。常陸国風土記に現れる弟橘姫は倭武天皇の皇后と称され、山海の珍味で天皇をもてなしています。その地の女酋長であったのかもしれません。

久尻神社は江戸時代になってからできた神社らしいのですが、御祭神に事代主神がいることが気になります。

久尻神社詳細 (gifu-jinjacho.jp)

2021年9月 9日 (木)

鯨地図(愛知県)

Aichi_20210909235201

鯨山

愛知県西尾市吉良町宮崎鯨山

吉良スライダーパークという遊園地の中にある小山らしいです。名前の通り鯨山を利用した滑り台がたくさんあります。子供が大喜びしそうな場所です。鯨山については、ネット上にも地名辞典にも情報がありませんでした。宮崎という土地らしいので神社に関わりがあるのかもしれません。要現地調査です。

西尾市観光協会 吉良ワイキキビーチスライダーパーク

 

鯨脇

愛知県知多郡南知多町豊浜鯨脇

鯨浜

愛知県知多郡南知多町篠島鯨浜

これも全く情報がありません。

海獣(地名コレクション) (uub.jp)

2021年9月 8日 (水)

鯨地名(静岡県)と静岡浅間神社の謎

Shizuoka

鯆霊供養塔・鯨岩

静岡県賀茂郡東伊豆町奈良本

鯆とはイルカのことです。伊豆にはイルカの供養塔が多く分布しています。東伊豆町には鯨の岩、猿の岩、亀の岩もあります。しかしライオン岩なんてものもあるので、ただ単に見た目だけでつけた名前で歴史は関係が無いかもしれません。

 

イルカ碑

静岡県賀茂郡西伊豆町安良里

イルカの慰霊碑です。他に土肥や沼津にもあります。

クジラ・イルカ関連の動物慰霊碑

 

久連 くづら

静岡県沼津市西浦久連

沼津市にあるが旧伊豆国です。伊豆の国市の葛城山の西麓駿河湾に面した内浦湾の西側海岸沿いの地名です。久連神社もあり古い地名と考えられます。

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久連のバス停と後ろに見えるのが久連神社の社叢。かつては島であったそうです。

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久連神社、小山の上にあります。

山を越えた内陸は江間、長岡、奈古屋で北条氏発祥の地です。源頼朝が流された蛭ヶ小島は奈古谷(なこや)にあります。葛城山も蛭子も鯨のキーワードなので久連も恐らく鯨が変化した地名であると考えられます。江戸時代中期にはなぜか陸奥国棚倉藩の飛び地でした。福島県の棚倉と言えば、近津神社が分布する地域です。江戸幕府も鯨の謎に気が付いていたのでしょうか?

丸子部の謎(7)莫越山と名古屋の由来: 静かなる細き声 (cocolog-nifty.com)

 

Fuji

相模大山から見た富士山

 

鯨ヶ池 くじらがいけ

静岡県静岡市葵区下

静岡市の鎮守浅間神社の背後に賎機山(しずはたやま)という細長い山脈があります。山脈と言っても高さは最高で170mほどですが、とにかく幅が狭いため斜面は急峻です。この賎機山の北端にあるのが鯨ヶ池です。

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鯨ヶ池、周囲4㎞くらの池で釣りができるようになっています。高架橋は東名高速道路です。

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賎機山。静岡駅から、静鉄バス安倍線に乗ると、延々と30分間賎機山の横を走ります。細長く続く山です。その山脈が鯨ヶ池のところだけ低くなっています。ここが鯨の頭になるのでしょう。

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伝説によると下村の福成権現の近くに鯨の形をした岡があり鯨ヶ丘と呼ばれていたそうです。天平時代にこの鯨ヶ丘から突如水が湧き出て付近を泥水で覆ったのですが、神酒を捧げると清水に変わってこの地を潤す池になったとのことです。実際には安倍川の伏流水が湧き出ているのだそうです。

 

さて静岡浅間神社ですが、参拝した人は知っていますが、変わった配置をしています。地図を見てください。

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神社というのは通常、賎機山のような特徴的な地形があるときには、その先端に立地するものです。そして南北を正中線として本殿は南向きに建てられ、参道は南北に伸びます。

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静岡浅間神社の門前町、南に延びていますし、駿府城に沿っていますから、ここが神社の正面であることは明白です。

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参道からすぐのところに大歳御祖神社があります。

静岡浅間神社も南北に延びる賎機山の先端に賎機山古墳があり、その先に正門の鳥居があり、その先に門前町が並び、さらに先には駿府城があります。静岡浅間神社の正中線は駿府城-鳥居-賎機山古墳-賎機山-鯨ヶ池の直線であることは明白でしょう。しかしこのライン上にあるのは浅間神社ではなくて大歳御祖神社(おおとしみおやじんじゃ)です。天平時代の創建で古くは奈古屋明神(なこやみょうじん)と呼ばれていました。この神社は明神ですし、おそらくこの地域の古代豪族の古墳である賎機山古墳をご神体とする神社です。

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大歳御祖神社の裏にある賎機山古墳。

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大歳御祖神社の正中線と静岡浅間神社の正中線は直角に交わってきます。同じ境内にある神社なのに珍しいことです。

南から入った参拝客は、大歳御祖神社から右に曲がり、賎機山のふちにそって狭い道を歩いていくと、浅間神社にたどり着きます。浅間神社の方が本殿も巨大です。浅間神社の正中線は東西であり、鳥居(東門)も巨大で立派です。由緒によると浅間神社の建立は縁起(900年頃)なので、大歳御祖神社よりも200年遅いです。

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静岡浅間神社の大鳥居。浅間神社の参道は門前町にはなっていません。

おそらく歴史的な順序としては、東海道が安倍川を渡る交通の要所にこの辺りを治める豪族がいて、賎機山に古墳を作ったのでしょう。そしてその子孫がこの地域の役人となり、祖先の古墳に祈りを捧げるようになった、これが天平時代に創建された奈古屋明神です。この古代豪族は、甲斐国韮崎の七里岩のように、賎機山を鯨ヶ丘として崇拝していたと考えられます。鯨ヶ池の伝説と、神社の創始の年代が一緒です。

やがて山岳仏教が盛んになるにつれて、富士山が崇拝されるようになり、賎機山を修行場とする修験の道場ができたのでしょう。これが浅間神社です。浅間神社というのは元々修験道で富士山を仏として崇拝していました。富士山が木花昨夜姫と同一視されるようになったのは江戸時代になってからです。そして明治時代になって神仏分離によって、仏教の要素が排除されて浅間神社になったのでしょう。

国譲り神話の原型

昔々この地上にまだ人間がいなかったころ、陸の動物と海の動物は互いに入り混じって住んでいました。そして人間は空の上で神様と一緒に暮らしていました。

 

ある日、天の神様が地上を人間に譲ることにしました。そこで地上にアメノワカヒコを遣わして、地上の全ての生き物の王様であるオオクニヌシに、地上を人間に譲るよう伝えようとしました。しかしアメノワカヒコはオオクニヌシの可愛い娘と仲良しになって仕事を忘れてしまいました。

 

天の神様はアメノワカヒコがなかなか帰ってこないのでどうしようか相談しました。そこで知恵者のオモイカネが声の大きな雉のナキメを送ることにしました。雉のナキメは地上に降りると大きな声で叫びました。

「やい、アメノワカヒコ、天の神様がおまえを地上に送ってからもう八年もたつというのにいったい何をしているんだい」

図星を指されて腹が立ったアメノワカヒコは弓矢でナキメを射殺してしまいました。その矢は雲の上まで飛んでいき、天の神様の集まっているところに落ちました。

「これはアメノワカヒコの矢ではないか。アメノワカヒコはオオクニヌシに寝返ったのだろうか?」

「アメノワカヒコが正しい心を持ったままなのであれば矢は当たりませんように、悪い心を持つようになったのであれば矢に当たって死んでしまえ」

そう言って神様が矢を放つと、アメノワカヒコに当たって死んでしまいました。このように神様との約束を守らないとバチが当たるのです。

 

神様は次に誰を地上に送ろうか相談しました。

「動物たちを従えるには、猟が上手い雷の神のタケミカヅチを送るのが良いだろう」

 

若くて意気盛んなタケミカヅチは雲の上から浜に降り立ってオオクニヌシに迫りました。

「地上の王のオオクニヌシよ、天の神々が地上を人間に譲れと言っている、さあ早く答えるのだ」

「私だけで決めることはできません、一番大きな息子のコトシロヌシの意見を聞いてください、コトシロヌシは海にいます」

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タケミカヅチが船を出して海に行くと、鯨のコトシロヌシは鳥と一緒に歌を歌ったり、大きな口を開けて小魚を食べて楽しそうにしていました。

「やいコトシロヌシよ、地上を人間に譲るのだ、さもなくばひどいぞ」

タケミカヅチはそういうと銛を構えました。

「おそれ多いことです、地上は天の神の子供の人間に譲りましょう」

そういうとコトシロヌシは大きな胸鰭で海面を叩き、大きな白い腹を見せると、海の底に潜っていきました。

「地上の皆さんさようなら・・・」

真っ先に天の神に従った鯨は、大昔と変わらず大きな体と人間のような知恵を持つ生物として残りました。

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それを見ていた鮭のタケミナカタは歯ぎしりをしました。

「コトシロヌシの兄さんはなんて意気地がないんだ、おれが目にものを見せてやるぞ!」

そういうとタケミナカタは沢山の子分を引き連れて海から川を遡ってタケミカヅチを攻めました。川が鮭の大群でキラキラと光って、大きな岩が迫ってくるようでした。

「こんな奴わけないぞ」

タケミカヅチはそういうと、熊のように片っ端から鮭を掴んで陸に引き上げました。

「うひゃあ、これはたまらない」

そういうとタケミナカタは上流に逃げていきました。タケミカヅチはどこまでも追いかけました。

「お許しください、私もコトシロヌシの兄さんにならって、天の神様に従います、どうか命だけはお助けを」

タケミカヅチはタケミナカタを許しました。だから人間は川を遡る鮭を取り尽くしてはいけないのです。これはタケミカヅチとタケミナカタの約束だからです。

 

タケミカヅチはオオクニヌシに再び迫りました。

「おまえの息子は両方とも天の神に従ったぞ、さあどうする?」

「こうなっては是非もありません。私も子供同様に天の神に従って地上を人間に譲りましょう。その代りに海の底に、この地上の宮と同じような御殿を作ってください。」

そういうと海の底に帰って行きました。海の底はオオクニヌシのご先祖様のスサノヲの命が住む場所だからです。

 

オオクニヌシを哀れに思った忠義深いラッコのクシヤタマは、海に潜って海藻を集め、腹で石をカチカチと鳴らして火をおこし、貝やウニをお腹の上で料理して、海に潜ってオオクニヌシに料理を捧げるようになりました。それでラッコは煤で焼けたように黒い体をしているのです。

 

このようにして地上は人間の住む場所となったのでした。

2021年9月 6日 (月)

鯨地名(長野県)

Nagano

長野県小海町

小海町には、小海という地名を聞いて鯨の夫婦が河を遡ってきたという伝説があります。

小海物語 小海町観光協会

小海には、平安時代に八ヶ岳の噴火によって千曲川が堰き止められてダム湖ができ、それが数か月後に決壊して下流に大洪水を起こしたことが記録に残っています。この伝説は災害でできた堰止湖のことを指しているようにも、あるいは海を遡ってきた海部の物語のようにも読めます。

 

鯨塚

長野県南佐久郡佐久穂町海瀬

千曲川にクジラと海坊主

 

鯨宮

長野県南佐久郡佐久穂町下畑諏訪神社内

佐久ホテル 鯨供養最高地点は?

上記の小海を含め、佐久にはなぜか鯨にまつわる伝説が残っており、鯨塚・鯨宮もあります。捕鯨の伝説も伝わっているのですが、さすがに人類の歴史上、佐久まで海面が上昇したことはありません。これはおそらく古代の海部が佐久まで進出していたことを指すのでしょう。子の海部が南側の甲斐国から来たのか、あるいは東側の武蔵国から来たのかはよくわかりません。

 

 

鯨石

長野県東御市本海野白鳥神社

古代から戦国時代まで小県郡の海野を支配した、海野氏発祥の地にある白鳥神社には、鯨石があります。近代に作られた噴水に付けられた名前なので、古代史とは関係がなさそうですが、海野は丸子部がいた信州丸子の隣です。海野氏が丸子部である可能性もあります。海野の白鳥神社は日本武尊伝説にちなんでいます。日本武尊伝説は鯨地名と縁が深いです。あるいはこの地域に、何か鯨の伝承があってそれを伝えるものかもしれないので、候補地として記しておきます。いつか現地調査がしたいです。

鯨地名(山梨県) 七里岩の巨石信仰と鯨

Yamanashi

山梨県北杜市と韮崎市にまたがる舌状台地の七里岩に立地する鉾立神社と上之宮、中之宮、下之宮は八ヶ岳を鯨山として信仰する神社と考えられます。

鯨の社(鉾立神社)

山梨県北杜市須玉町若神子

旧住所北杜市須玉町若神子鯨(鯨バイパス公共事業事前調書)

地名辞典山梨県p571上 によると、一蓮寺過去帳永禄四年 の番帳六七番に「くしらの禰宜」と記載があり、鉾立神社に比定されるそうです。そのわけは、目の前に流れる塩川の支流が鯨川であるためです(現在の名前は鳩川になっています)。

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鉾立神社付近の旧住所は若神子鯨でした、付近には鯨橋があり古い住所が記載されています。

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くじらはし とあります。

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鉾立神社付近にあるキャンプ場の看板。鯨をモチーフにしていました。

 

尾鰭の宮(当麻戸神社・下之社) おひれのみや

山梨県韮崎市藤井町駒井

七里岩の先端に位置する神社です。尾鰭の宮という変わった名前がついています。これはおそらく七里岩を鯨に見立て、その先端を尾鰭としたのでしょう。尾鰭だから下之社なのでしょう。不思議な地名をちゃんと受け継いでくれた人たちに感謝です。こうやって古代史の解明に結び付きました。すぐ南は韮崎の市街です。

尾鰭の宮には御供石という石があり、かつては鳥占いが行われていたそうです。

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尾鰭宮の拝殿

 

穂見神社(中之社)

山梨県韮崎市穴山町

尾鰭の宮から北に3㎞くらいの場所にある。文献で調べた限りでは鯨を匂わすようなものは見当たりませんでした。現地調査や郷土資料の調査が必要でしょう。この地から発祥した穴山氏は室町時代に甲斐国巨摩郡南部郷に移住しました。南部郷には鯨野があります。戦国武将の穴山梅雪は駿河国丸山宿(鯨ヶ池がある)に無血入城したという伝承があります。

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穂見神社の裏には根の石という巨石があります。二階建ての家屋ほどの巨石の上に巨樹が根を張っており、いかにも磐座といった感じです。

 

 

諏訪神社(上之社)

山梨県北杜市須玉町若神子

住所を見てもわかる通り、鉾立神社のすぐ近くにあります。神社の奥に角のような形をした岩があります。このように上中下すべての神社が御神体の岩があって、かなり古くから信仰されてきた神社であることが伺えます。私は鉾立神社と上之社が両目、中之社が腹と胸鰭、下之社が尾鰭で七里岩全体を鯨に見立てた信仰があったのではないかと考えています。

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Shichiriwa

八ヶ岳と七里岩と鯨の宮

七里岩は八ヶ岳から流れ出た溶岩によってつくられた台地が、塩川と釜無川によって浸食されてできた舌状台地です。八ヶ岳には様々な語源の説がありますが、ツガが谷なので八つの谷を持つ山、すなわちたくさんの谷がある山なのではないかともいわれています。だとすると茨城県の八溝山と同じ意味になります。

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尾鰭宮から見た七里岩の南端。鯨の尾鰭に見えるでしょうか?

鯨は顎と腹に畝があるので、谷が深い山と鯨は連想でつながるのでしょう。

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尾鰭宮付近から八ヶ岳を望む。

後で見るように、八ヶ岳の北側の信州佐久地方にも鯨塚や鯨の伝説があります。

 

鯨野 くじらの

山梨県巨摩郡南部町福士

時刻表アプリによると、鯨野入口というバス停があるらしいです。新羅三郎義光の孫清光の子孫は常陸国武田郷から甲斐国に移住して甲斐源氏になりました。その系統から出たとされる南部氏は、巨摩郡南部郷に住み南部氏を名乗ります。なので、巨摩郡の鯨野は常陸国から移り住んだ佐竹氏の子孫が持ち込んだ地名の可能性があります。

南部郷からさらに陸中(岩手県)に移住したのが南部氏です。南部氏は明治維新まで残ります。

常陸国久慈郡と多賀郡を治めた佐竹氏は金山を持っていたとされます。その技術は秋田移封後も活用されて秋田県には多くの鉱山が開発されました。佐竹氏は鉱山の関連から蘭学も貪欲に取り入れて、それが戊辰戦争で新政府の側に立った理由でもあります。

佐竹氏の分家である武田氏の金山は有名です。さらに甲斐武田氏は備後と安芸にも恩賞を得て移住しますが、そこでもやはり鉱山や製鉄に携わっていた形跡があります。不思議なことに新羅三郎義光の一族は鉱山と深い関わりがあります。そして彼らが住んだ土地には、鯨地名が付いて回るのです。

2021年9月 5日 (日)

鯨地名(埼玉県)

Saitama

鯨井

埼玉県川越市鯨井町

埼玉県川越市鯨井新田町

川越市街から入間川を挟んで対岸の広い地域を表す町名。昔は鯨井村であった。鯨井氏は埼玉県北部に分布するが、川越市にはほとんどいない。

Ushiduka

霞ヶ関駅北側の牛塚古墳。「うし」というのは古い日本語で偉い人を表す。

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河越館跡の常楽寺

鯨井にはかつて秩父党の河越氏の館がありました。すなわち源義経の正妻の実家で、義経も滞在したことがあると思われます。河越館跡地は公園になっていて、一角には河越氏が建立した常楽寺があります。

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セブンイレブン川越鯨井支店。

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鯨井には一面の田園風景が広がります。

 

大串(おおぐし)

埼玉県比企郡吉見町

鯨地名の候補地。吉見町は吉見百穴(横穴墳墓群)、三の耕地遺跡、山の根古墳など遺跡が多く、古い神社も多いです。坂東三十三観音の吉見観音もあります。源範頼の城郭もあり、古代には重要な土地でした。そのため、大串も鯨地名の候補に入れます。

 

鯨山古墳

埼玉県児玉郡神川町新里

白石銚子塚古墳の通称。神川青柳古墳群の一角を占める。

鯨地名(神奈川県)

Kanagawa

真鯨(まくじら)

目久尻川(めくじりがわ)

神奈川県海老名市大谷南

Makujira

千葉県の国府と国分寺があったとされる海老名には真鯨という地名があります。東名高速道路海老名サービスエリアがある岡の名前です。実は海老名サービスエリアには人用の出入り口があって、人間だけならば真鯨側から上り線のSAに入って、食事やお買い物を楽しむことができます。この丘には上浜田古墳群もあります。海老名駅の辺りに国分寺の遺跡があり、その北側には秋葉山古墳群もあります。相模国造の本拠地だったのではないかと言われています。

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相模国国分寺遺跡公園、とても開放的な公園です。

相模の国はなぜか国府が大磯町に、国分寺が海老名市にあって、位置が数十㎞も離れています。普通は同じ場所にあります。

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秋葉山古墳群説明版

国分寺の東側から、丘の縁を流れる川が目久尻川です。おそらく元々は真鯨川であったのでしょう。目久尻川と相模川の合流点に寒川神社があります。寒川神社は霊験あらたかだということで祈祷をする人が引きも切らない神社です。

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目久尻川、寒川神社付近

伊勢の外城田には朽羅神社(くちらじんじゃ)があり、大和葛城山の神様が祀られています。葛城山の麓の地名は櫛羅(くじら)です。外城田の奥に祭られている速河比売と速河比古の別名は寒川姫、寒川彦で、これは相模の目久尻川(真鯨)の寒川神社の神様と同じです。相模の真鯨を開拓したのが伊勢からの入植者であったことを匂わせる符合です。

 

鯨塚

神奈川県三浦市三崎5丁目西浜地藏堂向かい

三浦半島も古くから鯨信仰が盛んな地域でした。今はマグロで有名な三崎も中世には捕鯨(実際はイルカや小型のクジラ)でにぎわっていたと言います。三浦半島の南端の三崎漁港の西浜には鯨塚があります。

ヨコハマ原付紀行ー三浦半島で唯一くじら塚の供養碑

 

久地(くじ)・溝ノ口(みぞのくち)

神奈川県川崎市高津区久地

東急田園都市線とJR南武線の乗換駅の溝ノ口。多摩川の段丘涯に久地という地名があり、常陸国の久慈と音が同じです。そして鯨神である事代主神の后神である伊豆諸島の新島の神様は美戸乃久知姫(みとのくちひめ)です。そのようなわけで、溝ノ口も鯨地名の候補地に入れます。

櫛の謎: 静かなる細き声 (cocolog-nifty.com)

鯨地名(千葉県)

Chiba

 

鯨岡

千葉県南房総市川谷

旧丸山町の中心部石堂と山間の御子神を隔てている岡。バス停と集乳所があります。

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丸山には古代から丸子部が住んでいて、宮下の莫越山神社(鯨岡の近く)は万葉集にも歌われている歌枕。旗上げして石橋山の合戦で一敗地にまみれた源頼朝が落ち延びてきて態勢を立て直したのも丸子です。

 

鯨塚

安房国では昔からクジラは霊獣として尊重されてきました。たまに座礁して流れ着いた寄り鯨は海の贈り物としてありがたがれました。江戸時代になって組織的な捕鯨が始まると、捕えた鯨を供養するようになり、各地に鯨塚が建立されるようになりました。

安房の捕鯨

 

長性寺の鯨塚

千葉県南房総市千倉町千田

まるごとe!ちば長性寺

 

乙浜の鯨塚

千葉県南房総市白浜町乙浜

 

鋸南町の鯨塚

千葉県鋸南町竜島1050-1070番台

 

千葉県木更津市中島

東京湾アクアラインの木更津側のたもとに字鯨があります。鯨区集会所という建物があるようです。この地名がどこまで古いのかは未確認です。歌枕の袖ケ浦の近くにあります。

中島は木更津市の北側でですが、南側の畑沢にも、海岸近くに畑沢川にかかる鯨橋があるらしいです。木更津は東京湾の内側なので、捕鯨をしていたとは考えにくく、この地名は古代からある可能性が高いでしょう。

 

葛羅の井(かつらのい)

千葉県船橋市西船6丁目

この地区は葛飾湧水群と言って清水が湧き出る場所として知られていました。その中でも葛羅の井は龍宮までつながっていて、飲めば瘧(マラリア)が治ると言われていました。もしかしてこれは「くずらのい」即ち鯨井なのではないだろうかと思うのですが、まだ推測の域は出ません。

中山下総散歩道

 

鯨社

千葉県浦安市浦安市当代島3丁目

浦安市の当代島稲荷神社に鯨社という石碑があります。これは昭和の初めごろに浦安の沖でクジラを仕留めた漁師が奉納したものです。古代史とは関連が薄そうですがこの辺りは大廓式土器の出土地でもありますし、古代からの鯨信仰の片鱗かもしれないので記しておきます。

2021年9月 2日 (木)

鯨地名(栃木県)

Tochigi

久次良

栃木県日光市久次良町(くじら)

日光東照宮の西側の市街地の町名です。古代に久次良氏(鯨氏)という豪族がいたとされています。勝道上人と共に日光二荒山の中禅寺を開いたともいわれています。

 

徳次郎(外鯨)

栃木県宇都宮市徳次郎町(とくじら)

宇都宮市北部、奥州街道と日光街道の分岐点です。古代に外鯨邑(とくじらむら)がありました。智賀津神社の伝承によると、日光の久次良氏が移住して外鯨邑を作ったとされています。発祥の地の鯨に対する外鯨です。しかし鯨氏はいつしか消えてしまい現在の徳次郎町には鯨氏は住んでいません。

外鯨がやがて徳次郎と表記されるようになりました。戦後は行政文書で「とくじろう」という読みだったのですが、地元民の要望を受け入れて、2021年3月から読みが「とくじら」に戻りました。私が訪れた際には、バスのアナウンスは「とくじら」でした。

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