鯨地名(三重県) 鯨と観音とダイダラボッチ
三重県度会郡玉城町原
内宮摂社の第十二番で、御祭神は千依比売、千依比古、姉弟の神様です。大歳神の子とされています。
大歳神は奈良県御所市の葛木御歳神社にまつられています。葛木御歳神社は全国にある大歳神を祀る神社の総本社です。御所市櫛羅(くじら)から南に2kmくらい。三重県の外城田で葛城の神様が祀られているのは朽羅神社だけですから、朽羅には櫛羅から派遣された部族が住んでいたのかもしれません。
朽羅神社(伊勢神宮 内宮摂社)|伊勢志摩の観光スポットを探す|伊勢志摩観光ナビ (iseshima-kanko.jp)
現在の朽羅神社は江戸時代に式内社久麻良比神社の跡地に再興されたもので、元は原村にあったともされています。田園に浮かぶ島に見える鎮守は宮田の森と呼ばれています。伊勢国度会の朽羅神社と葛城は関連があると考えるのが自然でしょう。
玉城町の外城田(ときだ)の辺りを開発したのは荒木田氏とされています。荒木田氏は古代から内宮の神主を代々勤めた神職の名門です。 荒木田氏は中臣氏と同系統で、大鹿島命の孫の、天見通命を始祖とします。景行天皇の時に大貫連の姓をもらい、成務天皇の時に荒木田神主の姓をもらったとされています。七世紀後半に二系統に分離して、一門と二門に別れました。
多気郡の外城田は荒木田氏が開発したという伝承は重要で、その中心にあるのが朽羅神社ですので、伊勢でも鯨が開発センターだったわけです。
伊勢は猿田彦信仰の拠点なので猿も関わってきます。
東京都大田区蒲田の稗田神社の御祭神にも荒木田襲津彦がいる。大田区では最古の神社で、弥生時代の祭祀跡も発掘されている。
伊勢の外城田の奥に祭られている速河比売と速河比古は、天須婆漏女命(あめのすばろめのみこと)の子供です。天須婆漏女命 は昴を神格化した神様とされ、天宇受賣命と同一視されています。そして速河比売と速河比古は は狭田国生神社に祭られていました。父は猿田彦とも言われています。速河比売と速河比古の別名は寒川姫、寒川彦で、これは相模の目久尻川(真鯨)の寒川神社の神様と同じです。
相模川流域には、古墳時代に東海地方から人が移住してきたことが考古学的に確かめられています。その人たちは、伊勢の度会から来て、鯨という地名と寒川姫、寒川彦の信仰を持ち込んだのかもしれません。
相模の寒川神社
そういえば、静岡浅間神社の奈古屋明神に祀られているのも大歳神です。これは偶然でしょうか。駿府を開拓したのも、葛城から派遣されてきた鯨信仰の部族なのかもしれませんね。
三重県鳥羽市松尾町519 青峰山正福寺
伝説では、観音菩薩を載せた鯨が鯨崎にたどり着き、土地の男が観音像を手に取ると、鯨は見る見るうちに石に変わったとされています。鯨が石になるというのは、北海道や東北に多い伝承です。観音様は十一面観音菩薩でした。観音像が青峰山に行きたいと言ったので、そこに寺を建てて祀ったとされています。そこで正福寺を鯨観音とも言います。
鳥羽市観光情報サイト - 知る (tobakanko.jp)鯨の背に乗った仏様
三重県志摩市大王町波切1 波切神社
鯨石があります。捕鯨で捕まえた鯨から丸い石が出てきたので(龍涎香?)村人は祟りを恐れてその鯨を厚く葬ったと言われています。波切にはダイダラボッチの伝説もあり、大きな草鞋を神社に備える風習もあるそうです。葦夜権現(いやごんげん)の草鞋祭といい、大きな草鞋を海に流して豊漁を祈るそうです。
浅草寺の金蔵門
浅草寺金蔵門の大草鞋、日本の観音信仰では大草鞋の奉納がみられる
これは上の鯨観音とも関連するかもしれません。何故なら観音様には昔から大きな草鞋を奉納するからです。さらに、観音様はインドではヴィシュヌの化身なのですが、ヴィシュヌを表すのは大きな足跡です。かつてはお釈迦様もビシュヌの化身とされました。仏教信者がお釈迦様の足跡を信仰していたからです。
東京芝増上寺の仏足石
日本人が観音を受け入れたベースには、ダイダラボッチがあるのかもしれません。お釈迦様=観音様=ヴィシュヌ=ダイダラボッチは大きな足というキーワードで結びつきます。そして波切ではその草鞋を海に流すわけですから、ダイダラボッチと鯨が同一視されていることもわかります。
波切神社|観光スポット|観光三重 (kankomie.or.jp)
三重県北牟婁郡紀北町引本浦
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