鯨地名(岐阜県)
岐阜県土岐市泉町久尻
久尻神社を中心とする一帯、かつては久尻村がありました。神奈川県海老名市に真鯨と目久尻川があるので、この久尻村もかつては鯨であったと推測が可能です。久尻川も流れています。慶長時代の郷帳には国尻村とあり、正保郷帳では群尻村とあるそうです。
久尻村には奈良時代から室町時代にかけて窯跡が確認されています。戦国時代に加藤市左衛門春厚(加藤景光)が久尻に良土を発見し天正十三年より窯焼きをはじめ、その子の四郎右衛門景延は唐津へ赴いて登り窯を久尻に持ち帰り、美濃焼の陶祖といわれています。
久尻には古墳群があり、乙塚古墳はその中で最大級で七世紀の営造とされます。地元の伝説では八坂入彦命の女弟姫のゆかりの者を葬ったと伝えられます。しかしこれは発掘調査の結果とは異なっています。
ともあれ八坂入彦命は崇神天皇の皇子で尾張氏を母とし、美濃の久々利(くくり)に土着したとされます。久々利は久尻村の北隣でした。その子孫が八坂入媛と弟媛で、景行天皇が美濃に行幸した際に弟媛を見初めるのですが弟媛は姉を憚って八坂入媛を勧めました。
おそらく当時の東海地方の王族には伊勢の斎宮のような習慣があり、弟媛は神に仕える巫女なので結婚ができなかったのでしょう。そこで景行天皇は八坂入媛を連れ帰ります。やがて皇后の播磨稲日大郎姫が亡くなったので、入れ替わりに八坂入媛が皇后となり、生まれたのが成務天皇とされています。
播磨稲日大郎姫は日本武尊の母親です。日本武尊は天皇になれませんでした。尾張氏の八坂入媛が吉備の播磨稲日大郎姫を押し退けて皇后となり、それで日本武尊が皇位を継ぐことができなかったと読むこともできます。しかし常陸国風土記では日本武尊は倭武天皇と記されています。景行天皇は妃も子女も多いため(総計七十人超!)、複数の人間の業績が一人にまとめられていることは明白です。当時の王族の中で吉備氏と繋がった人がいてそのうち誰かが関東に赴いたのでしょう。それが日本武尊伝説として残りました。尾張氏と結びついた人もいるのでしょう。その一族から出たのが成務天皇であるようです。
九州に遠征した景行天皇、吉備にいて四国に子孫を派遣した景行天皇、出雲に派遣された日本武尊、関東に派遣された日本武尊(倭武天皇)、尾張氏とつながりを持った景行天皇(成務天皇の父)これらはそれぞれ別人物と考えた方がよさそうな気がします。
八坂入彦命と弟媛の伝説は、常陸国の豊城入彦命の物語、日本武尊と弟橘姫の伝説に似ているようです。相模や常陸には美濃や伊勢の人たちが移住していますので、故郷の伝説を持ち込んだのかもしれません。豊城入彦命の墓が残る石岡には鯨岡があり、弟橘姫が日本武尊をもてなした久慈にも鯨岡があります。常陸国風土記に現れる弟橘姫は倭武天皇の皇后と称され、山海の珍味で天皇をもてなしています。その地の女酋長であったのかもしれません。
久尻神社は江戸時代になってからできた神社らしいのですが、御祭神に事代主神がいることが気になります。
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