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2021年9月26日 (日)

鯨地名(京都府) 賀茂氏の謎

Kyoto

京都府亀岡市宮前町宮川鯨

亀岡市にある字です。鯨と名付けられた由来などは不明ですが、賀茂氏の伝説が色濃い地域ですので、葛城山の櫛羅と関連があるでしょう。

付近に宮川神社があり、google mapの説明によると「御祭神伊賀古夜日売命。賀茂御祖神社に祀られる賀茂建角身命のお嫁さん。同じく玉依比売の母」と地元の伝説ではなっているようです。なので鴨氏や玉依姫に関わりがあることが分かります。奈良県葛城山の櫛羅と関連がありそうです。

この辺りは相模国から移住したという波多野氏の本拠地です。

宮川神社 (亀岡市) (genbu.net)

金輪寺本堂(亀岡市)/京都府ホームページ (pref.kyoto.jp)

上記リンク先の玄松子の記帳によると、賀茂建角身命は大和国の葛木山(葛城山)に宿り、さらに山城国の加茂に移り、丹波国神野(亀岡市宮前町)の伊賀古夜日売命を娶り、玉依姫を生んだことになっているそうです。葵祭には宮内庁からの要請でここの氏子が参加する習わしになっているそうです。

 

折田(くじた) 京都府京都市中京区堂ノ前町 頂法寺(六角堂)

京都市のある京都盆地は山城国愛宕郡と呼ばれていました。平安京建設以前から愛宕郡にあったとされる寺が法観寺(東山区)と六角堂頂法寺(中京区)です。北白川にも寺があったことが発掘調査からわかっています(北白川廃寺)。

頂法寺創建の由来を記録した「六角堂縁起」には、六角堂は愛宕郡折田郷土車里にあったとされています。この折田は「クジタ」と訓が振ってあり、鯨地名である可能性があります。平凡社の地名辞典は平安京遷都によって消えてしまった地名と推測しています。

京都市の最も古い地名は鯨だったのです。

京都の俗信では六角堂は京都のヘソに当たり、平安京を建設した際には六角堂を測量の起点にしたと言われています。今の六角堂は発掘調査によると中世までしか遡ることができないので、平安京より前にあった六角堂は別の場所と考えられますが、京都の人たちが京都の中心と信じてきた六角堂が折田郷(くじた=くじら)にあったというのは驚くべきことです。

 

賀茂氏と折田氏

京都市と鯨のつながりはそれだけではありません。京都市の地主神である上賀茂神社(加茂御祖神社)は平安遷都以前よりこの地に住した賀茂氏の氏神です。「山城国風土記逸文」によると、可茂の神は日向国曾の峰に天降りした賀茂建角身命であり、その神は神倭伊波礼毗古命を先導して大和の葛木山に宿り、その地より山城国岡田の賀茂へ移り、さらに木津川を北上し賀茂川上流へと至り、久我国北山基に鎮座しました。これが京都市の下鴨神社、上賀茂神社です。

そこで賀茂建角身命は丹波国神野(兵庫県氷上郡氷上町御油の神野神社)の神伊可古夜比売をめとり、玉依日子、玉依日売の男女が生まれました。

古事記では玉依姫は海神大山祇神の娘ですが、賀茂建角身命の娘とする伝承もあったことが分かります。玉依姫は神武天皇のお母さんです。

ある日玉依日売が石川の瀬見の小川で川遊びをしていると、丹塗矢が川上より流れ下り、取っ手床の辺りに差し置いたところ、日売は男子を生みました。成人して祖父の賀茂建角身命が「汝の父と思う人に酒を飲ましめよ」と言ったところ、その子は天に向かって祭りを成し昇天しました。そこで賀茂建角身命は孫を賀茂別雷命と名付けました。実は彼の父は乙訓社の雷神でした。

折田氏は珍しい苗字で、丹波国と薩摩国にしか記録がありません。丹波誌氷上郡の条に折田氏が油利村にいるとあり、神野神社とは10㎞くらいの距離にあります。同じ盆地です。京都市中心部の愛宕郡折田郷にいた賀茂氏の一派が氷上郡の神野に移住したのかもしれません。となると、玉依比売の出身地は、亀岡市の宮川鯨と氷上郡の御油の二つがあることになります。どちらが正しいのでしょうか?しかし京都市の賀茂神社は二つありますから、どちらも正しいのかもしれません。

神野というのは嵯峨天皇の諱で、桓武天皇の甥には葛野王がいました。氷上郡には葛野庄という皇室相伝の荘園がありました。氷上郡と皇室のつながりは、古墳時代にまでさかのぼる可能性があります。

 

賀茂建角身命=事代主神=鯨

賀茂建角身命が降り立ったという大和の葛城山は、櫛羅(鯨)にあります。櫛羅には事代主神が祀られています。賀茂建角身命の別名は三島溝咋(みしまみぞくい)で、この神様は伊豆諸島では三島明神として祀られています。三島明神の妻は伊古奈比売(イコナヒメ)で、賀茂建角身命の妻の神伊可古夜比売(カムイカコヤヒメ)と似ています。賀茂建角身命と事代主神は同一とみてよいでしょう。

葛城山にいた鯨を崇拝する賀茂氏は山城国風土記逸文によれば、

 

日向国曾の峰→葛城山(櫛羅)→山城国岡田→山城国愛宕郡(折田)→上賀茂・下鴨に分離→丹波国氷上/丹波国宮川(鯨)

というように移動していったと考えられ、この流れは継体天皇が北陸から大和に来たルートや、品遅別命の旅路、聖武天皇の放浪、そして桓武天皇の平安京遷都ルートにも重なります。

飛鳥時代から奈良時代にかけて、ダイダラボッチや鯨を一度は忘れてしまった朝廷が、奈良時代の後半になってから、何故か古い鯨の伝説をなぞるように行動しているのはとても興味深いです。

 

玉依姫の謎

玉依姫は古事記では神武天皇の母であり、山城国風土記では丹塗り矢に感応して妊娠し、雷神の子供を産みます。東京都品川区大崎には奈良時代創建の品川貴船神社があります。この品川貴船神社は元々荏原神社であり、後から沿岸部に移転して今の荏原神社となり、元の大崎の神社は貴船神社になったとされています。

京都の貴船神社には、浪速から玉依比売が淀川を遡って貴船に至ったという伝説があります。今の品川貴船神社には玉依比売は祀られてはいませんが、本来の神様は玉依比売かもしれません。

品川貴船神社が移転したという荏原神社には恵比須様(事代主神)が祀られています。つまり玉依比売のお父さんです。近所の神社に思いもよらぬ古い伝承の跡が残されていることが分かりました。山城国風土記逸文に残されている古事記には採用されなかった古い伝承が、武蔵国荏原郡品川の神社と対応するのは非常に興味深いことです。

 

鯨塚

京都府与謝郡伊根町亀島

蛭子神社に鯨の胎児を祀った鯨塚があるそうです。

私は伊耶那岐命と伊邪那美命が最初に生んだ蛭子(ひるこ)は鯨ではないかと考えています。人間の胎児は最初は魚のような姿をしています。これは流産した胎児を見れば古代人でもわかります。狩猟をしていれば哺乳類の胎児はみな魚の姿をしていることもわかるはずです。そこで大昔の海部は、全ての生物の祖先は鯨なのではないか?という信仰を持つに至ったのではないかと考えています。

伊耶那岐命と伊耶那美命が蛭子を海に流したのは出来損ないだったからではなくて、一番最初に生まれた動物は鯨であると古代の日本人が考えていたからではないでしょうか。

であるから、恵比寿様と蛭子が土地によっては同一視されているのだと思います。鯨の胎児は丁重に葬られたという記録は各地にあるので、人間の胎児と似た姿を持つ、鯨の胎児を食べることはタブーであったのかもしれません。

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