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2021年9月 8日 (水)

鯨地名(静岡県)と静岡浅間神社の謎

Shizuoka

鯆霊供養塔・鯨岩

静岡県賀茂郡東伊豆町奈良本

鯆とはイルカのことです。伊豆にはイルカの供養塔が多く分布しています。東伊豆町には鯨の岩、猿の岩、亀の岩もあります。しかしライオン岩なんてものもあるので、ただ単に見た目だけでつけた名前で歴史は関係が無いかもしれません。

 

イルカ碑

静岡県賀茂郡西伊豆町安良里

イルカの慰霊碑です。他に土肥や沼津にもあります。

クジラ・イルカ関連の動物慰霊碑

 

久連 くづら

静岡県沼津市西浦久連

沼津市にあるが旧伊豆国です。伊豆の国市の葛城山の西麓駿河湾に面した内浦湾の西側海岸沿いの地名です。久連神社もあり古い地名と考えられます。

Kudura01

久連のバス停と後ろに見えるのが久連神社の社叢。かつては島であったそうです。

Kudura02

久連神社、小山の上にあります。

山を越えた内陸は江間、長岡、奈古屋で北条氏発祥の地です。源頼朝が流された蛭ヶ小島は奈古谷(なこや)にあります。葛城山も蛭子も鯨のキーワードなので久連も恐らく鯨が変化した地名であると考えられます。江戸時代中期にはなぜか陸奥国棚倉藩の飛び地でした。福島県の棚倉と言えば、近津神社が分布する地域です。江戸幕府も鯨の謎に気が付いていたのでしょうか?

丸子部の謎(7)莫越山と名古屋の由来: 静かなる細き声 (cocolog-nifty.com)

 

Fuji

相模大山から見た富士山

 

鯨ヶ池 くじらがいけ

静岡県静岡市葵区下

静岡市の鎮守浅間神社の背後に賎機山(しずはたやま)という細長い山脈があります。山脈と言っても高さは最高で170mほどですが、とにかく幅が狭いため斜面は急峻です。この賎機山の北端にあるのが鯨ヶ池です。

Kujiragaike02

鯨ヶ池、周囲4㎞くらの池で釣りができるようになっています。高架橋は東名高速道路です。

Kujiragaike03

賎機山。静岡駅から、静鉄バス安倍線に乗ると、延々と30分間賎機山の横を走ります。細長く続く山です。その山脈が鯨ヶ池のところだけ低くなっています。ここが鯨の頭になるのでしょう。

Kujiragaike_20210908233501

伝説によると下村の福成権現の近くに鯨の形をした岡があり鯨ヶ丘と呼ばれていたそうです。天平時代にこの鯨ヶ丘から突如水が湧き出て付近を泥水で覆ったのですが、神酒を捧げると清水に変わってこの地を潤す池になったとのことです。実際には安倍川の伏流水が湧き出ているのだそうです。

 

さて静岡浅間神社ですが、参拝した人は知っていますが、変わった配置をしています。地図を見てください。

Shizuokasengenjinja

神社というのは通常、賎機山のような特徴的な地形があるときには、その先端に立地するものです。そして南北を正中線として本殿は南向きに建てられ、参道は南北に伸びます。

Shizuokasengenjinja03

静岡浅間神社の門前町、南に延びていますし、駿府城に沿っていますから、ここが神社の正面であることは明白です。

Shizuokasengenjinja02

参道からすぐのところに大歳御祖神社があります。

静岡浅間神社も南北に延びる賎機山の先端に賎機山古墳があり、その先に正門の鳥居があり、その先に門前町が並び、さらに先には駿府城があります。静岡浅間神社の正中線は駿府城-鳥居-賎機山古墳-賎機山-鯨ヶ池の直線であることは明白でしょう。しかしこのライン上にあるのは浅間神社ではなくて大歳御祖神社(おおとしみおやじんじゃ)です。天平時代の創建で古くは奈古屋明神(なこやみょうじん)と呼ばれていました。この神社は明神ですし、おそらくこの地域の古代豪族の古墳である賎機山古墳をご神体とする神社です。

Shizuokasengenjinja04

大歳御祖神社の裏にある賎機山古墳。

Shizuokasengenjinja05

大歳御祖神社の正中線と静岡浅間神社の正中線は直角に交わってきます。同じ境内にある神社なのに珍しいことです。

南から入った参拝客は、大歳御祖神社から右に曲がり、賎機山のふちにそって狭い道を歩いていくと、浅間神社にたどり着きます。浅間神社の方が本殿も巨大です。浅間神社の正中線は東西であり、鳥居(東門)も巨大で立派です。由緒によると浅間神社の建立は縁起(900年頃)なので、大歳御祖神社よりも200年遅いです。

Shizuokasengenjinja06

静岡浅間神社の大鳥居。浅間神社の参道は門前町にはなっていません。

おそらく歴史的な順序としては、東海道が安倍川を渡る交通の要所にこの辺りを治める豪族がいて、賎機山に古墳を作ったのでしょう。そしてその子孫がこの地域の役人となり、祖先の古墳に祈りを捧げるようになった、これが天平時代に創建された奈古屋明神です。この古代豪族は、甲斐国韮崎の七里岩のように、賎機山を鯨ヶ丘として崇拝していたと考えられます。鯨ヶ池の伝説と、神社の創始の年代が一緒です。

やがて山岳仏教が盛んになるにつれて、富士山が崇拝されるようになり、賎機山を修行場とする修験の道場ができたのでしょう。これが浅間神社です。浅間神社というのは元々修験道で富士山を仏として崇拝していました。富士山が木花昨夜姫と同一視されるようになったのは江戸時代になってからです。そして明治時代になって神仏分離によって、仏教の要素が排除されて浅間神社になったのでしょう。

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