鯨地名(山梨県) 七里岩の巨石信仰と鯨
山梨県北杜市と韮崎市にまたがる舌状台地の七里岩に立地する鉾立神社と上之宮、中之宮、下之宮は八ヶ岳を鯨山として信仰する神社と考えられます。
山梨県北杜市須玉町若神子
地名辞典山梨県p571上 によると、一蓮寺過去帳永禄四年 の番帳六七番に「くしらの禰宜」と記載があり、鉾立神社に比定されるそうです。そのわけは、目の前に流れる塩川の支流が鯨川であるためです(現在の名前は鳩川になっています)。
鉾立神社付近の旧住所は若神子鯨でした、付近には鯨橋があり古い住所が記載されています。
くじらはし とあります。
鉾立神社付近にあるキャンプ場の看板。鯨をモチーフにしていました。
山梨県韮崎市藤井町駒井
七里岩の先端に位置する神社です。尾鰭の宮という変わった名前がついています。これはおそらく七里岩を鯨に見立て、その先端を尾鰭としたのでしょう。尾鰭だから下之社なのでしょう。不思議な地名をちゃんと受け継いでくれた人たちに感謝です。こうやって古代史の解明に結び付きました。すぐ南は韮崎の市街です。
尾鰭の宮には御供石という石があり、かつては鳥占いが行われていたそうです。
尾鰭宮の拝殿
山梨県韮崎市穴山町
尾鰭の宮から北に3㎞くらいの場所にある。文献で調べた限りでは鯨を匂わすようなものは見当たりませんでした。現地調査や郷土資料の調査が必要でしょう。この地から発祥した穴山氏は室町時代に甲斐国巨摩郡南部郷に移住しました。南部郷には鯨野があります。戦国武将の穴山梅雪は駿河国丸山宿(鯨ヶ池がある)に無血入城したという伝承があります。
穂見神社の裏には根の石という巨石があります。二階建ての家屋ほどの巨石の上に巨樹が根を張っており、いかにも磐座といった感じです。
山梨県北杜市須玉町若神子
住所を見てもわかる通り、鉾立神社のすぐ近くにあります。神社の奥に角のような形をした岩があります。このように上中下すべての神社が御神体の岩があって、かなり古くから信仰されてきた神社であることが伺えます。私は鉾立神社と上之社が両目、中之社が腹と胸鰭、下之社が尾鰭で七里岩全体を鯨に見立てた信仰があったのではないかと考えています。
八ヶ岳と七里岩と鯨の宮
七里岩は八ヶ岳から流れ出た溶岩によってつくられた台地が、塩川と釜無川によって浸食されてできた舌状台地です。八ヶ岳には様々な語源の説がありますが、ツガが谷なので八つの谷を持つ山、すなわちたくさんの谷がある山なのではないかともいわれています。だとすると茨城県の八溝山と同じ意味になります。
尾鰭宮から見た七里岩の南端。鯨の尾鰭に見えるでしょうか?
鯨は顎と腹に畝があるので、谷が深い山と鯨は連想でつながるのでしょう。
尾鰭宮付近から八ヶ岳を望む。
後で見るように、八ヶ岳の北側の信州佐久地方にも鯨塚や鯨の伝説があります。
山梨県巨摩郡南部町福士
時刻表アプリによると、鯨野入口というバス停があるらしいです。新羅三郎義光の孫清光の子孫は常陸国武田郷から甲斐国に移住して甲斐源氏になりました。その系統から出たとされる南部氏は、巨摩郡南部郷に住み南部氏を名乗ります。なので、巨摩郡の鯨野は常陸国から移り住んだ佐竹氏の子孫が持ち込んだ地名の可能性があります。
南部郷からさらに陸中(岩手県)に移住したのが南部氏です。南部氏は明治維新まで残ります。
常陸国久慈郡と多賀郡を治めた佐竹氏は金山を持っていたとされます。その技術は秋田移封後も活用されて秋田県には多くの鉱山が開発されました。佐竹氏は鉱山の関連から蘭学も貪欲に取り入れて、それが戊辰戦争で新政府の側に立った理由でもあります。
佐竹氏の分家である武田氏の金山は有名です。さらに甲斐武田氏は備後と安芸にも恩賞を得て移住しますが、そこでもやはり鉱山や製鉄に携わっていた形跡があります。不思議なことに新羅三郎義光の一族は鉱山と深い関わりがあります。そして彼らが住んだ土地には、鯨地名が付いて回るのです。
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