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2021年10月24日 (日)

鯨地名(広島県) もう一つの吉備津彦の出雲攻めルート

Hiroshima

 

鯨山 広島県福山市水呑町

和名抄に諌山郷(いさやまごう)があり、福山市から尾道にかけての海岸沿いではないかと推測されています。平凡社の地名辞典によると、旧版の「広島県史」では、鯨をいさなと訓じたことを根拠に、福山市水呑町の鯨山を痕跡とする説をの載せています。

同じく平凡社地名辞典の福山市水呑村の項に、平重盛が当地の葛城山を登る途中で岩淵の水を飲んだという伝説の載せています。鯨地名シリーズで何度も取り上げたように、葛城山の麓の地名は櫛羅(くじら)であり、鯨地名があるところには葛城山も良く見つかります。そのため、水呑町の鯨山も古代からの地名であると考えても良いでしょう。

しかし水呑町のどの山が鯨山なのかは、地図上では未確認です。

 

鯨島 広島県三原市木原町

三原市の沖にある島。向島の西。

 

鯨観音(対潮院) 広島県尾道市因島土生町郷区 

対潮院 尾道観光協会

因島の南の平野部にある寺で江戸時代の初めの建立です。ご本尊は如意輪観音菩薩です。昭和時代に捕鯨船で銛を撃っていた漁師が、鯨の供養のために建てて聖観音菩薩があり、鯨観音と呼ばれています。そのため古代史とは関係はなさそうです。しかし向かいの愛媛県弓削島には鯨という地名があります。

 

久代村(くしろむら) 広島県庄原市東城町久代

旧比婆郡の東城町に久代村がありました。中世に奴可郡(さらに奥地の備後落合や道後山のあたり)を支配した宮氏(久代氏)発祥の地とされています。最初は当地の比田山城を本拠にしたとされています。

太室山頂上に鎮座する太室神社は久代の天王と呼ばれていたそうです。京都八坂神社から勧請したと伝わります。境内には火神迦具土神を祀る愛宕神社があります。

宮氏の菩提寺は豊穣山能楽寺、ご本尊は薬師如来です。山号も寺の名前もとても珍しいので記録しておきます。

久代記によると、久代氏は元々大和国宇陀郡に領地を持っていたが、山名氏清が明徳の乱を起こした時に与力したことが後から発覚し、備後に逃れたとあるそうです。しかし出雲国比田(島根県能義郡広瀬町)から移り住んだという伝承もあり、比田山城に来る以前のことはわかり難いと地名辞典にもあります。奴可郡の宮氏は南北朝時代から備後で活動していることが確認できるので、久代の宮氏はその分家ではないかと地名辞典にあります。

久代村には吉備津神社があり、備後国一宮の吉備津神社を分霊したと伝わります。備後国一宮は品治郡(ほんじぐん)宮内村(現福山市新市町)にあります。この辺りは備後国の国府があった土地です。鯨山と吉備津神社がある福山から国道182号を北上すると久代村にたどり着きますが。この国道182号の起点は何と加茂町であり、京都上賀茂神社の荘園があったとされます。山城国風土記逸文によると、京都の上賀茂神社は大和国葛城から移ったとされています。やはりこの地域は鯨地名と縁が深いようです。中世の荘園が、古墳時代にさかのぼる起源をもつ可能性が伺えて非常に興味深いです。

国道182号をさらに北上すると、牛鬼がいたという伯耆国日野郡にたどり着きますので、吉備津彦は備中だけでなく備後のルートからも牛鬼そして出雲を攻めたのかもしれません。

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