2024年3月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
無料ブログはココログ

« 2021年10月 | トップページ | 2022年5月 »

2022年1月23日 (日)

鯨地名(愛媛県) 伊予と常陸の意外な縁、第三代安寧天皇の痕跡

Ehime

鯨・久司浦 愛媛県越智郡上島町弓削

芸予諸島の広島県因島と向かい合う島が弓削島です。弓削島北端の集落の名前が鯨です。住所は久自浦です。

弓削島全体が櫛村と呼ばれていたこともあるそうです。久司浦には東泉寺という寺院があり、別名鯨薬師と呼ばれています。鯨薬師の隣にある溜池には鯨池という名前がついています。

弓削島の南にある久司山があります。その尾根伝いに久司山古墳群があります。後期の古墳群です。弓削島には弥生時代から連綿と人が住んでいました。

弓削神社の御祭神は饒速日尊、大己貴命、事代主命、孝謙天皇です。孝謙天皇が祀られているのは弓削氏との関連でしょう。

弓削島の西方には大三島があります。大三島の神様は大山祇神です。その娘が磐長姫と木花昨夜姫で邇邇芸命のお嫁さんです。山梨県韮崎市の尾鰭宮や埼玉県児玉郡神川町の鯨山にある白岩神社は大山祇神を祀っています。

 

日高鯨山古墳 愛媛県今治市馬越町

因島、弓削島から芸予諸島を渡っていくと四国の今治に到着します。古墳時代には小市(おち)・怒麻(ぬま)の国造が置かれていました。そして伊予国府は今治市の上徳に置かれていたという説が有力です。桜井には国分寺があってこれは現在まで続いています。そのため今治は多数の遺跡があります。

芸予諸島に向かい合う湊町に相の谷古墳群があり、伊賀山山頂にある相の谷前方後円墳は愛媛県最大の前方後円墳です。全長80m。禽獣四乳鏡や、直刀、鉄剣などが発掘されていて、大豪族の墳墓と考えられています。近くの大浜八幡神社には饒速日尊と天道日女命が祀られています。

今治市には五十嵐(いかなし)という住所があります。五十嵐(いがらし)は茨城県と福島県に特有の苗字です。伊加奈志神社があり、御祭神は五柱命・五十日足彦命・伊迦賀色許男命です。また大須伎神社(おおすぎ)があり。大杉神社もまた茨城県南方の利根川と霞ケ浦沿いに多数分布する神社です。伊予国と常陸国には何らかの縁があるようです。

日高鯨山古墳は、古くから鯨山と呼ばれた10mくらいのなだらかな丘の呼び名です。前方後円墳という説もありますが、形が崩れており、自然地形を見誤ったのではないかという説があります。円墳はあるようで埴輪も出土しています。地元の古代豪族越智氏の祖先乎致命の墳墓であるという説が、天正七年(1579)三島大祝越智安任の「小千(おち)御子御墓在馬越邑」という手記によって唱えられています。

馬越の南西には神宮という地名があり、ここはもう一つの古代豪族野間氏の根拠地とされています。そこには品部川(しなべがわ)が流れています。これは東京の品川と似ているのが気になります。野間神社は式内社で、御祭神が若弥尾命・飽速玉命・野間姫命・須佐之男命です。奥の院には石神さんとして信仰される巨石があります。巨石信仰は鯨地名によく見られます。

このように、今治市の鯨山は古代の海部の一派である越智氏・野間氏と縁が深い土地にあり、彼らの間でも聖地として伝承があったようです。そして常陸国南部・山梨県・埼玉県の鯨地名との関連もありそうです。

 

鯨川・鯨橋 愛媛県八幡浜市五反田

愛媛県西部の八幡浜市に鯨橋という地名があるらしいです。詳細は地名辞典やネット上の調査ではわかりませんでした。

 

鯨塚 愛媛県西予市明浜町

西予市に鯨塚があるそうです。鯨が漂着した跡とされています。市指定 碆の手の鯨塚/西予市 (city.seiyo.ehime.jp)

 

鯨大師 愛媛県宇和島市蛤

愛媛県宇和島市の向かいにある九島にはかつて遍照山願成寺があり鯨大師と呼ばれていました。願成寺は現在は市内に移転しましたが、九島の蛤には今も大師堂があります。嘉永四年(1851)の永代祈願録には弘法大師が赤松浦から鯨谷へ移動して即願成寺を建立したという伝承が記録されています。四国八十八ヶ所の番外札所とされていました。

龍光院(別格六番)のホームページによると、元々第四十番札所観自在寺の奥の院が九島の鯨大師で、明治になってから龍光院に合祀されたとのことです。

 

第三代安寧天皇浮穴宮

愛媛県の松山市とその奥の久万高原町はかつては浮穴郡(うけなぐん)と呼ばれていました。久米という地名があり古代豪族の久米氏が近畿地方から移住したとされています。

第三代安寧天皇は日本書紀によれば片塩浮孔宮(かたしおのうきあなのみや)に都を作ったとされています。母は事代主神の娘の五十鈴依媛命。后は事代主神の孫鴨王の娘の渟名底仲媛命。

従来は愛媛の浮穴は、この奈良県の浮孔から移住した久米氏がつけた地名とされているのですが、二代綏靖天皇の伝説が大分県の豊後大野にあり、私は安寧天皇の都の浮穴宮ももしかしたら愛媛県の浮穴なのではないかと考えています。そして愛媛県の久米が久米氏の発祥の地ではないかと。

« 2021年10月 | トップページ | 2022年5月 »