遺伝子の系統と文化は必ずしも一致しないという話(4)
R1b+J2が出発した後にもカスピ海周辺にはR+J2が住んでいたと考えられますが、5千年前に彼等は故地を出て行き東と西に拡散します。西に進んだのがスラブ人で、カスピ海を時計回りに進んだのがインド・イラン・アーリア人です。両者はR1aの遺伝子をもっていました。
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R1b+J2が出発した後にもカスピ海周辺にはR+J2が住んでいたと考えられますが、5千年前に彼等は故地を出て行き東と西に拡散します。西に進んだのがスラブ人で、カスピ海を時計回りに進んだのがインド・イラン・アーリア人です。両者はR1aの遺伝子をもっていました。
欧州の学者はR系はインド・ヨーロッパ語を生み出した人達と考えています。けれども、ギリシャ・アナトリア半島にはR系の侵入を受けなかったのにインド・ヨーロッパ語を話すギリシャ人がいます。
欧州西端と中国北部まで到達したR1aを仮にR1a第1陣、英仏西中心部とタクラマカンで繁栄したR1aを仮にR1a第2陣とします。彼等が持っていた技術を並べると次のようになります。
ミトコンドリア遺伝子やY染色体を使って、民族移動の歴史をたどることができるという話は聞いたことがあると思います。遺伝子の痕跡が「人間」の移動を説明していることは間違いありません。しかし、ある集団の中で遺伝子に変異が生じた時期とその集団が新しい文化を獲得した時期は必ずしも一致しません。
精神分析学者の岸田秀先生は著作の中で白人の起源について仮説を立てている。
イスラム侵入前の古代中央アジアの考古学の書籍を読み漁っています。易経と詩経を研究するうちに、周は中央アジアの遊牧民と関係が強い、というよりはおそらくペルシャ系の文化をもって現在のトルキスタン辺りから移住してきた遊牧民ではないかという確信が強くなったからです。
閏三月十日
戎は通常西方の異民族を意味します。西周は魯や斉に命じて東夷・淮夷(日本人やベトナム人の祖先)を征伐して東方に領土を広げ、晋に命じて北方の遊牧民(匈奴・モンゴル人の祖先)を征伐して北方に領土を広げ、鄭に命じて南方のジャングルを開発させていました。
コメント欄でオカルト的なことを言ってしまい驚かれた方もいるかもしれませんが、オカルトまで持ち出さなくても、易経がメッセージを弱める方向に改変されたことを説明することは可能です。
十月六日
本屋に注文していた白川静の「詩経雅頌」の上下、および物と人間の文化史、伊藤智夫の「絹」のIとIIをゲットしました。
詩経は白川静です。妙な儒教解釈を排除し、恋愛詩や生活詩といった詩経本来の姿を浮かび上がらせました。
また日本を初めとする東洋の歴史と絹はまさに切っても切れない関係にあります。特に日本の古代史を解明するには養蚕への理解が欠かせないと思っています。
両方とも読むのは大変そうですが、楽しみです。
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