2010年12月 8日 (水)

正しい時代劇

十一月三日

 黒澤明の映画を見たら、ちゃんと人買いとか奴隷とか追い剥ぎとかが出ているじゃないか。七人の侍では、話の構成上惣村なのに武装していなかったという抜けはあるけれど、野武士を撃退しているし、ほかの映画を見たら食い詰めて他国に侵攻する百姓とかも出てくるし、ちゃんと正しい時代劇になっている。

 教科書には載っていなかったかもしれないけれど、その頃までは年寄りから聞いた伝承とかで歴史の正しい姿を日本人も知っていたということなんでしょう、

 てことはおそらく八十年代以降の大河ドラマが日本人の歴史理解をおかしくしたんだろうな。

2010年11月22日 (月)

神田明神が江戸の町の守り神なわけ

十月十七日 【小雪】

 近くの古本屋で小学館の「マンガ・人物日本の歴史」が大安売りしていたので買ってきました。

 これ、有名な人物もさることながら悪党とか一揆とか江戸っ子とか庶民の生活を描いた巻に名作が多いんですよね。歴史の勉強を抜きにして物語として秀逸だと思うのです。

 「平将門」を読んでふと思ったのは、徳川幕府が神田明神を江戸の鎮守にしたのは京都の朝廷にプレッシャーをかける意味合いもあったんだろうなと言うことです。初めて朝廷に本格的な反乱を起こしていい線までいった人物を神様として祀っていたと言うことですからね。お前らあんまり無理難題をふっかけるとどうなるか分かっているんだろうなと言う関東の無言の圧力だったのでしょう。

2010年9月 7日 (火)

日本の所有権の発達(九)・・・大名貸し

陰暦 七月二十九日

 手元の資料で数値をチェックしてみます。 「一目でわかる江戸時代」(小学館)によりますと、慶長三年(1598)の全国の石高が1,851万石。正保 二年(1645)が2,455万石。50年間で30%増加。その後は気候の寒冷化によって停滞し、2,500万石前後を推移。天保に再び成長して 3,000万石を突破します。

 江戸開府の頃の総人口は1,200〜1,800万人の間。初めて全国規模の人口調査が行われた享保六年(1721)の町方の人口は2,600万人。その後は2,400〜2,600万人の間を推移しています。このほかに武士が300万人くらいいるので総人口は約3千万人です。

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2010年9月 6日 (月)

日本の所有権の発達(八)・・・商人から税を取り立てる

陰暦 七月二十八日

 仕事やら趣味やらゲームやらで忙しくてブログがお留守になってすみませんでした。

 地面に生える作物や、草原に群がる牛馬と違って、商業活動で得られる富はどれだけ利益が得られたのか外からは計測がしにくい難点があります。さらに土地は権力者によって所有に規制をかけやすいのに対して商業活動は場所を選ばないので規制がしにくい面があります。

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2010年8月31日 (火)

日本の所有権の発達(七)・・・太閤検地

陰暦 七月二十二日

 太閤検地の目的は、戦国大名と土豪との間に結ばれた土地の所有関係の確認の契約を解いて、土豪の土地所有権は豊臣政権が保障し、大名をただの行政機関に することにありました。織田信長ー織田家の武将ー土豪という支配関係を全国に広げたのです。大名の仕事は、外征や謀反人の処罰といった中央からの命令によ る軍事行動と産業振興などに限定し、これまでの政治の最大の仕事であった土地の所有権の確認は今の言葉で言えば「民事」として行政は不介入する方針を豊臣 秀吉は徹底しました。

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2010年8月30日 (月)

日本の所有権の発達(六)・・・戦国大名の登場

陰暦 七月二十一日

 どうも前回のエントリーは説明不足だった気がしたので、もうちょっと補足します。荘園制と太閤検地の間には戦国大名による領国制があります。戦国大名によって律令制的土地制度が葬られ、太閤検地によって農民の土地所有権が確立するまでも見ていきましょう。

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2010年5月23日 (日)

三河 松平一族

陰暦 四月十日

 本屋で新書形式の「三河 松平一族」(平野明夫著 洋泉社)という本を見つけて面白そうだからとカウンターへ持っていったら1900円で目の玉が飛び出てしまいました。古い本の復刊で印刷数も少ない小さな会社だかららしいのですが、あんまり直感に反するような商品は作らないで欲しいなと思った次第。

 とはいえ、この本はなかなか面白いです。初代親長が流浪の職人だったこと(まあこれは松平氏の伝説を知っている人にはだいたい想像がつくことですが)、元々松平氏は武家ではなく流通業者に近い家で最初の百年くらいは戦いではなくて買い取りで所有地を増やしていったらしいこと、足利将軍の執事である伊勢氏の被官であったことなどがあります。三代目の信光まで読んだところです。

 伊勢氏というと後北条氏もその一派ですから、後年家康が北条氏と同盟を結んだことは草創期の松平氏が北条氏と関係が深かった名残なのかもしれません。それと、伊勢氏と今川氏は微妙な関係にあって、伊勢氏は今川氏や吉良氏などの守護の力を削ぐために三河の土豪に反乱を起こさせたりしていますし、後北条と今川も長い間緊張状態が続いていました。だとすると、本来三河というのは反今川の感情がある場所で、今川義元の代に三河に今川氏が進出して竹千代(家康)が人質に取られたことも、従来説明されていたように松平氏が今川方だったからではなく、今川氏が三河の土豪を全く信用しておらず、弾圧政策だったのかもしれないと思いました。竹千代が織田方に誘拐されたのも松平氏の本意が反今川だったからかもしれません。桶狭間で義元が呆気なく討たれたこととその後の今川が奮わなかったことは、三河にあった反今川の風潮を考慮に入れた方がよいのかもしれません。

 また、この本によると奥三河には「伊賀村」という集落があって松平氏とも関係があるようです。家康は伊賀の忍びと繋がりが深いといわれているのですが、これは家康が上方に侵出するようになってからなってからできた一朝一夕の繋がりではなく、相当に長い繋がりなのかもしれません。

 中世後期に出てきた侍身分、あるいは土豪が発展し戦国大名になっていったモデルケースを詳述した本でもあります。

2010年1月10日 (日)

桓武平氏の内訌

陰暦 十一月二十六日

 立川の古本市で仕入れた「相模三浦一族」(奥富敬之著、新人物往来社刊)を読んでいたら面白いことが分かりました。ものすごく基本的なことなんですが・・・

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2009年6月 4日 (木)

桑の葉のそよぐ国

陰暦 五月十二日 【伝教大師忌】

 標題は藤沢周平の上杉鷹山伝である「漆の国のみのる国」をもじったものです。

 「漆の実のみのる国」は前半が改革派の家老竹俣当綱(たけのまたまさつな)と官僚の莅戸善政(のぞきよしまさ)が愚鈍な殿様である上杉重定を隠居させ て、英明な養子の上杉治憲(鷹山)を藩主に据えるまでを、後半は青年君主の治憲が米沢藩の立て直しに悪戦苦闘するも、天明の飢饉といった天災に襲われるな どの不運もあってなかなか治績が上がらず、藩の困窮は続き、最後の最後に隠居していた莅戸善政が家老に取り立てられるところまでで終わっています。

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2009年6月 2日 (火)

家綱時代の経済政策(二)

陰暦 五月十日

 酒井忠清大老時代です。

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